思返橋ではあまり長居せず、俺と佑香はバス停の隅の方で隠れるようにしてバスを待った。段ボールの断面のように波打っているアルミ製の板が、夏の容赦ない日差しをだいぶ和らげてくれる。バス停の後ろは何かの工房なのか、アルミ製の壁が敷地内にも広がり、ところどころ工具のようなものが見えていた。
 程なくして、予定の時間ピッタリにバスが到着する。バス停の隅から、バスの乗り場まで移動し、昇降口が開くのを待った。少しして、ブザーのような音とともに昇降口の扉が折りたたまれるように開くと、心地よい冷気が吐き出されるように降りてきた。外気の暑さでジンワリと汗をかいた肌を、バスの適度な冷房が包み込む。思わず表情が緩んでしまいそうになるのをグッとこらえた。
 しかし、すぐ横に並ぶ佑香に目をやると、バスの涼しさに負けた佑香の表情は緩みきっている。俺はそんな佑香の手を引いて、バスへと乗り込んだ。乗り込む際に嫌でも視界に入る運転手は、いつもの四十過ぎの男性ではなく、三十前後の目つきの鋭い男性だった。
 佑香は一目散にバスの最後列へと行き、ドサッと大きな音を立てて座席へと倒れ込むように座る。ガラガラの車内の、いつもの指定席だ。数週間しか経っていないのに佑香の行動が妙に懐かしく感じた。佑香は両手を広げて、大人五人は座れるソファ席を最大限に満喫している。そうして、遅れて俺がバスの最後列まで来ると、決まって左側に避けるのだ。あまりにも佑香の動きがいつも通りで、俺は思わず笑ってしまった。

「またニヤニヤしてる!」

「佑香は佑香だなって」

「それ、さっきも聞いたよ。今度はどんな失礼なことを考えているのかな?」

 不服そうにそう言う佑香の隣へ、俺は座った。

「あ!」

 俺が隣に座るとほぼ同時に、佑香が大きな声を上げて俺を力いっぱい突き飛ばした。突然のことに対応できず、俺はそのままソファに倒れ込む。

「いってぇ……何するんだよ」

「ごめんね。こっちの窓の向こうに大おじさんが見えたから、つい……」

 俺の訴えに、佑香は両手を顔の前で合わせるようにして謝罪してくる。
 大おじさんとは、俺や佑香の家の近所に住む還暦手前のおじさんだ。大柄な男性ではあるが、手先がとても器用で、この辺りでは、家具や家の修理等はほとんど彼頼みだ。本職は隣町の工場に勤めているが、地元では大工さんのような存在である。大工の大の字で、大おじさん。この町の住民は彼を親しみを込めてそう呼んでいる。
 そんな大おじさんは、この町でも特に顔が広い方で、俺や佑香も知っているし、大おじさんももちろん俺や佑香のことを知っている。だからこそ、佑香は大おじさんに俺が見られないように、咄嗟に隠れさせた。

「大おじさんか……危なかったな。けど、他にやり方はあっただろう」

 俺は大げさに佑香に突き飛ばされた肩を擦りながら訴えた。実際には、そこまで痛みはない。佑香をからかうのが目的だった。

「ごめんってば……」

 しかし、佑香の反応は俺が思っていたものと違った。こういうとき、佑香なら謝りながらも反論をしてくるはずだ。今であれば、大おじさんに見られなかったことに、むしろ感謝してほしいと言ってくる姿がありありと浮かぶ。その反応を期待していただけに、今の佑香のしおらしい姿に戸惑ってしまう。

「いや、俺も気づいてなかったし、助かったよ」

 佑香はいっこうに反論してくる様子もなく、少しの沈黙に耐えきれなくなった俺は、佑香の頭を撫でながらそう言った。佑香の予想外の様子から、そのままにしていたら、楽しいはずの一日が台無しになってしまうと感じたからだ。

「……うん」

 俺の言葉に、佑香は元気なく頷いた。佑香に触れている右手から、佑香がわずかに震えているのが伝わってくる。少しからかうだけのつもりが、どうして佑香はここまで予想外の反応をしたのか。
 バスの窓には日差しを遮るためのカーテンがあったので、俺は両側のカーテンを閉めた。

「ほら、こうすれば大丈夫だから」

「うん、ごめんね。ありがとう」

 俺はどうして謝られているのか。俺はどうしてお礼を言われているのか。佑香が泣き出しそうなのをこらえて、無理に笑顔を作って言ってくるものだから、俺は少し意地悪を言ってやろうとした自分に、忸怩たる思いでいっぱいになった。