もし本当に並行世界だとして、そうなるとこの世界の俺は佑香を守って死んだことになる。佑香を守れなかったことを後悔していたが、守れたとしても自分がいなくなるのでは結局佑香とは一緒にいられなかったということだ。
佑香をよく見ると目の下にクマが出来ている。若干だが窶れたようにも見え、佑香らしい元気がない。
あの事故は俺と佑香にとって袋小路だったのかもしれない。守れても守れなくても、もう元の日常には戻らなかったのだ。
「なぁ、佑香は渡れるのかな?」
「え?」
俺の突然の問い掛けに佑香は首を傾げた。乾いた風が辺りの田んぼの苗を大きく揺らす。
「いや、俺がこっちの世界に来れたのなら、佑香はあっちの世界に行けるのかなって思ってさ」
俺が先ほどの言葉の意味を説明すると、佑香は合点がいったようで「試してみよう」と言って立ち上がり、沢から橋へと上がった。
「手、繋いでいい?」
橋を前にして佑香が俺を見て言ってきた。俺は答えるように佑香の手を握る。佑香の手は小刻みに震えていた。きっと怖いのだろう。橋を渡れば違う世界に行けるかもしれない。そこはこことほとんど変わらない世界。事故に巻き込まれたのが俺と佑香で入れ替わっているだけだ。
俺は隣で怯えている佑香の目を見ながら頷いて合図を送る。佑香も同じようにコクリと頷いた。覚悟は決まったようだが、表情は強張っている。
佑香より一歩先に俺が歩きだし、繋いだ手に引かれるように佑香も世界の境界線に向けて踏み出す。
また、世界が輪郭を失う瞬間を感じ、同時に佑香と手を繋いでいた右手から感触がスッと消える。振り替えるとそこに佑香の姿は無かった。
再び俺が橋を渡ると、佑香は俺の後ろにいた。佑香の家の側から俺の家の側に橋を抜けている。佑香は橋を渡っても世界を渡ることは出来なかった。
「無理……だったね」
佑香が残念そうな、でもどこかホッとしたような表情で呟いた。
「しょうがないさ。でも俺がこっちに来れるんだから、気にすんな」
落ち込んだようにも見える佑香に何て答えるか迷って、俺は当たり障りない言葉を選んだ。
二つの並行世界を行き来できるのは、どうやら俺だけのようだった。いや、俺と佑香以外の人物では試していないから断定は出来ないが、そもそもこの並行世界はあの事故で俺が別の選択をした結果の世界。だから他に誰かで試さなくても、二つの並行世界を渡れるのは多分俺だけなのだろう。
「というか、俺ってこっちの世界の誰かに見つかったらヤバいんじゃないか? すぐ目の前に家あるし、佑香の家からもこの場所は見えるし、近所の人に見られるのも不味いよな?」
言いながら俺は血の気が引いていくような気分に襲われた。佑香も慌てた様子で周囲に人影がないかを確認する。幸いまだ日も高い時間だったため、近隣の大人たちは街の方まで働きに出ていて姿はなかった。
念のため俺と佑香は橋の裏側へと移動する。橋の周辺一帯はとても見晴らしが良く、いつ誰かに見られるか分からないからだ。安全とは言いがたいが、橋は高さも低く、日陰にもなっているため、わざわざ沢まで下りてこなければ見られる危険は少ないだろう。
「よいしょ……ねぇ、橋の下ってこんなに狭かったっけ?」
佑香が必死に首を曲げながら小声で言った。不服そうな言葉の割に顔は少しニヤけている。周囲に人影がなかったのを確認した割に小声で話し掛けてくるあたり、きっと楽しんでいるのだろう。
この橋は小さい頃の俺と佑香にとってのメインの遊び場だった。その頃の思いでもあり、狭い橋の下に二人で隠れるのは童心を刺激する。
沢の小さな石ころが身動きする度にジャリジャリと音を立て、新品の雪の上を踏んだような心地を足の裏に運んでくる。夏の容赦ない日射しは橋が軒の役割をしてくれて、ヒンヤリとした小川の流れも手伝って思ったより快適だ。
「ちょっと狭いけど、話すには丁度いいな」
「うん。友也とは話したいこと一杯あるから、暑くないのは助かるよ」
「俺も、佑香と話したいこと沢山あるんだ」
「ほんと? ねぇ、何だか楽しいね」
あえて俺も佑香も小声でヒソヒソと話し続ける。まるで秘密基地にでも潜り込んで悪巧みを誰かと企てるような、そんなワクワクした気持ちがふつふつと沸き立つ。
この奇跡はいつまで続くのだろうか? 明日にはもうこっちの世界に来られなくなってしまうかもしれないし、もしかしたら一生続くのかもしれない。でも今は、今だけは、そんなことは考えたくなかった。夏の太陽が完全に沈みきっても俺と佑香は互いから離れようとはしない。
どこかの家の夕飯の良い匂いが風に乗って運ばれてくると、二人同時にお腹が鳴った。携帯を取り出して時間を確認すると、もう随分と遅くまで話し込んでいたことが分かる。佑香は親が心配するからと言ってようやく橋の下から出ていった。俺も続くように橋の下から這い出る。
「アイタタタ……すっかり体が固くなっちゃった」
佑香が立ち上がって伸びをすると、腰のあたりをさすりながら悶える。
俺も故障や首、肩など関節に久々に血が通うのを感じながら大きく伸びをして空を見上げた。空気が綺麗な田舎町は星が綺麗だと言われるが、あまり都会の星空というものを見たことがなかったから実感はない。けれども、一度失った幸せを噛みしめながら見る見慣れた星空は、いつもより断然美しく思えた。
佑香をよく見ると目の下にクマが出来ている。若干だが窶れたようにも見え、佑香らしい元気がない。
あの事故は俺と佑香にとって袋小路だったのかもしれない。守れても守れなくても、もう元の日常には戻らなかったのだ。
「なぁ、佑香は渡れるのかな?」
「え?」
俺の突然の問い掛けに佑香は首を傾げた。乾いた風が辺りの田んぼの苗を大きく揺らす。
「いや、俺がこっちの世界に来れたのなら、佑香はあっちの世界に行けるのかなって思ってさ」
俺が先ほどの言葉の意味を説明すると、佑香は合点がいったようで「試してみよう」と言って立ち上がり、沢から橋へと上がった。
「手、繋いでいい?」
橋を前にして佑香が俺を見て言ってきた。俺は答えるように佑香の手を握る。佑香の手は小刻みに震えていた。きっと怖いのだろう。橋を渡れば違う世界に行けるかもしれない。そこはこことほとんど変わらない世界。事故に巻き込まれたのが俺と佑香で入れ替わっているだけだ。
俺は隣で怯えている佑香の目を見ながら頷いて合図を送る。佑香も同じようにコクリと頷いた。覚悟は決まったようだが、表情は強張っている。
佑香より一歩先に俺が歩きだし、繋いだ手に引かれるように佑香も世界の境界線に向けて踏み出す。
また、世界が輪郭を失う瞬間を感じ、同時に佑香と手を繋いでいた右手から感触がスッと消える。振り替えるとそこに佑香の姿は無かった。
再び俺が橋を渡ると、佑香は俺の後ろにいた。佑香の家の側から俺の家の側に橋を抜けている。佑香は橋を渡っても世界を渡ることは出来なかった。
「無理……だったね」
佑香が残念そうな、でもどこかホッとしたような表情で呟いた。
「しょうがないさ。でも俺がこっちに来れるんだから、気にすんな」
落ち込んだようにも見える佑香に何て答えるか迷って、俺は当たり障りない言葉を選んだ。
二つの並行世界を行き来できるのは、どうやら俺だけのようだった。いや、俺と佑香以外の人物では試していないから断定は出来ないが、そもそもこの並行世界はあの事故で俺が別の選択をした結果の世界。だから他に誰かで試さなくても、二つの並行世界を渡れるのは多分俺だけなのだろう。
「というか、俺ってこっちの世界の誰かに見つかったらヤバいんじゃないか? すぐ目の前に家あるし、佑香の家からもこの場所は見えるし、近所の人に見られるのも不味いよな?」
言いながら俺は血の気が引いていくような気分に襲われた。佑香も慌てた様子で周囲に人影がないかを確認する。幸いまだ日も高い時間だったため、近隣の大人たちは街の方まで働きに出ていて姿はなかった。
念のため俺と佑香は橋の裏側へと移動する。橋の周辺一帯はとても見晴らしが良く、いつ誰かに見られるか分からないからだ。安全とは言いがたいが、橋は高さも低く、日陰にもなっているため、わざわざ沢まで下りてこなければ見られる危険は少ないだろう。
「よいしょ……ねぇ、橋の下ってこんなに狭かったっけ?」
佑香が必死に首を曲げながら小声で言った。不服そうな言葉の割に顔は少しニヤけている。周囲に人影がなかったのを確認した割に小声で話し掛けてくるあたり、きっと楽しんでいるのだろう。
この橋は小さい頃の俺と佑香にとってのメインの遊び場だった。その頃の思いでもあり、狭い橋の下に二人で隠れるのは童心を刺激する。
沢の小さな石ころが身動きする度にジャリジャリと音を立て、新品の雪の上を踏んだような心地を足の裏に運んでくる。夏の容赦ない日射しは橋が軒の役割をしてくれて、ヒンヤリとした小川の流れも手伝って思ったより快適だ。
「ちょっと狭いけど、話すには丁度いいな」
「うん。友也とは話したいこと一杯あるから、暑くないのは助かるよ」
「俺も、佑香と話したいこと沢山あるんだ」
「ほんと? ねぇ、何だか楽しいね」
あえて俺も佑香も小声でヒソヒソと話し続ける。まるで秘密基地にでも潜り込んで悪巧みを誰かと企てるような、そんなワクワクした気持ちがふつふつと沸き立つ。
この奇跡はいつまで続くのだろうか? 明日にはもうこっちの世界に来られなくなってしまうかもしれないし、もしかしたら一生続くのかもしれない。でも今は、今だけは、そんなことは考えたくなかった。夏の太陽が完全に沈みきっても俺と佑香は互いから離れようとはしない。
どこかの家の夕飯の良い匂いが風に乗って運ばれてくると、二人同時にお腹が鳴った。携帯を取り出して時間を確認すると、もう随分と遅くまで話し込んでいたことが分かる。佑香は親が心配するからと言ってようやく橋の下から出ていった。俺も続くように橋の下から這い出る。
「アイタタタ……すっかり体が固くなっちゃった」
佑香が立ち上がって伸びをすると、腰のあたりをさすりながら悶える。
俺も故障や首、肩など関節に久々に血が通うのを感じながら大きく伸びをして空を見上げた。空気が綺麗な田舎町は星が綺麗だと言われるが、あまり都会の星空というものを見たことがなかったから実感はない。けれども、一度失った幸せを噛みしめながら見る見慣れた星空は、いつもより断然美しく思えた。