魔法使いになりたいか

今日は俺の誕生日であり、親父の命日でもある。

女好きだった親父は、再婚をくり返し、最初の妻だった俺の母さん以外に、二人の嫁をもらった。

ちなみに、離婚はしていない。

それなのに、なぜ結婚をくり返せたのかというと、全員と死別したからだ。

最初の奥さん、つまり俺の母さんと二人目の人は病死、三人目は事故で亡くなった。

だから、うちの仏壇には、三つの位牌が並んでいる。

父が死んで、四つではなく、三つ。

俺の母さんとの位牌は、連名で戒名が刻まれるように位牌をつくった。

それを見た二人目の母が、『いいなぁ~』って、うらやましがったから、死後、やっぱり連名で名前が彫れる位牌をつくった。

だから、三人目の母が突然事故死したときも、やっぱり連名の位牌をつくった。

そして去年、親父が死んだ。

残された、いちおう跡取りである俺は、仕方なく三つの位牌に、親父の戒名を刻むよう、専門の業者に依頼した。

その時のやりとりは、間違いなく俺の黒歴史の一部なので、割愛する。

かかった値段も三倍なら、俺が受けている屈辱も三倍だ。

心臓発作で急死した親父と、その奥さん達の位牌三体を、俺は自分の誕生日に拝んでいる。

なんでこんなクソ親父の供養を、三つ分もしないといけないんだ。しかも、他の女の分まで。

というわけで、親父単体の位牌はないから、四つではなく、三つ。

本屋を経営していた親父の店は、古い商店街の一角にあって、店舗と居住区が一体化した、とにかく古い作りの家だ。

通りに面した本屋の奥、レジ台のすぐ脇にのれんをかけ、その向こうが生活空間になっている。

家は二階建てで、一階は台所と風呂とトイレ、居間があり、外には小さいが庭もある。

庭には、本の在庫をしまっておく、小さな倉庫が置いてある。

仏間として使っている四畳半も一階。

家としての正式な玄関は、裏通りに面した方に作られている。

二階には三部屋、かつてそこは、俺の部屋と奥さん達の部屋として機能していたが、一人暮らしとなった今、二階の自分の部屋を寝室として使う以外は、ほとんどを一階の居間ですごしている。

そして迎えた、三十歳の誕生日。

俺は、三つの位牌が並んだ仏壇に手を合わせてから、居間に移動した。

クソ親父の一周忌なんて、これくらいで充分。

居間の丸いちゃぶ台の上には、俺の手作りの朝ご飯が用意してある。

クソ親父の命日よりも、自分の誕生日が大事。

だけど、この歳にもなると、誕生日だからって特別メニューを用意するのも面倒くさいし、かといってケーキがないのも寂しいので、何となくホールで一番小さいケーキを注文して買ってきた。

すがすがしい朝の一番に、一番に自分の誕生日を祝う贅沢。

「いただきます」

今日のメニューは、かますの干物に、豆腐とほうれん草のみそ汁。

目の前には、生クリームのケーキが待っている。

誕生日といえども、毎日の生活リズムは崩さない。

朝は早く起きて、夜はさっさと寝る。

それは何よりの、健康の秘訣だからだ。

自らを律し、心穏やかに日々を過ごす。

俺は、箸を持ちあげると、好物の干物を口に運んだ。

「私は、魂の指導者」

夢中で白飯にかぶりつき、記念すべき三十歳の、俺の最高のバースデーモーニングを一人堪能している時だった。

聞き慣れない、野太くしわがれた声に、顔をあげた。

「私は、魂の指導者」

すぐ横の狭い庭から入り込んで来たのは、一匹の太った、黒っぽいキジトラの老猫だった。

その猫は、堂々とした歩きっぷりで縁側に飛び乗ると、勝手に部屋に侵入してきた。

「そなたに、この声が聞こえるか」

「ちょっと、勝手に入ってきちゃ、ダメだよ」

「私は敵を倒す者よりも、己の欲望を克服した者を勇者と見る」

その偉そうな態度の猫は、ひらりとちゃぶ台の上に飛び乗った。

「己に克つことこそ、この世でもっとも難しいことなのだ」

「ねぇ、ちょっと待ってってば」

そこで俺は、重大なことに気づいた。

「あれ? 猫って、しゃべれたっけ?」

「私は魂の指導者!」

「だから、なんだよそれ!」

猫は、皿にのった焼き魚の、皮のにおいをくんくんと嗅いでいる。

「そなたは三十の歳になるまで、禁欲を貫いたのであろう」

俺の大事な誕生日のごちそうを、横取りされてはたまらない。

急いで皿を持ち上げる。

「勝手に入ってくんな!」

「よくぞ耐え抜いた!」

台の上に腰を下ろした黒っぽい茶色の猫は、やっぱり偉そうに俺を見上げてる。

「意味がわからないんだけど」

「私の声は、齢三十をこえてもなお、禁欲を貫いた男子にしか聞こえない」

「あー、ちょっと待って、なんかそれ、聞いたことあるような気がしてきた」

三十歳まで純潔を保つと、なんたらかんたらって、よくネットとかで言われてるやつだ。

「これって、もしかして、三十過ぎても童貞だったら、魔法が使えるようになるってやつ?」

「よくぞ耐え抜いた!」

「うれしくないから、帰って!」

俺がこの歳まで童貞=年齢=彼女いない歴なのには、純然とした、明確な理由がちゃんとある!

「私は魂の指導者!」

「いりません! 魂の指導者なんて、いりません。申し訳ないけど、早く帰って」

みそ汁までのぞき込む野良猫に、俺の不幸をバカにされたくない。

取り上げた椀の汁を一気に流し込む。

「おぬし」

それでも、このふてぶてしい猫は、ちゃぶ台の上から俺を見上げる。

「魔法を覚えたくはないのか?」

「魔法?」

俺は、この不思議な猫を見下ろした。

確かにこの猫はしゃべってるし、年老いた老猫で、魔法使いっぽいところはある。

「魔法が、使えるようになるの?」
老猫は、短い尻尾をゆらした。

「修行をすればな」

「魔法使いになったら、未来が分かる? 瞬間移動とか、空を飛べるようになれる?」

猫は大きなあくびをした。俺の心臓が騒ぎ出す。

「も、もてるようになるとか?」

これが一番大事な質問だ。

老猫は、自分の前足の付け根辺りをなめて、毛づくろいをしている。

「もてるようになるとか?」

猫は、ゆっくりと俺を見上げた。

「もてるように、なるとか!」

ピンポーン、玄関のチャイムの音。

三十歳の誕生日、俺の運命を変えるかもしれない大事な時に、一体誰が何の用だ!

「はい! どちらさまでしょうか!」

廊下を駆け抜け、コンクリートの床に飛び降り、サンダルを引っかけついでに、玄関の引き戸を開ける。

「あら、こんにちは」

その勢いで飛び込んだ俺の目の前には、齢八十は越えるかと思われるような、バアさんが立っていた。

色とりどりの華やかなレースを、みの虫のようにひらひらと全身にまとって、にこにこと立っている。

肩から斜めに、大きな黒いぼろぼろの鞄をぶらさげていて、さらになんのお香か分からないけど、鼻をつく独特の臭いが体からたちこめている。

「あの、どちらさまですか?」

バアさんは、数年はクシでといてないような、ぼさぼさの長い白髪をかき上げる。

「最近、おたくに不幸があったでしょ」

「えっ?」

「通りかかったら、どうしてもこの家から不幸の臭いがしてさぁ、あたしはそういうの、どうにも我慢できないたちでねぇ」

臭いと言えば、このバアさんの臭いも大概ひどいし独特なものだけど、それよりも無遠慮に部屋の中をのぞき込む、不幸が分かるというバアさんに、俺は驚いた。

なんでこの人は、そんなことが分かるんだろう。超能力者か天才か? 

不幸なら、この家に山ほどある。

「お金はいらないから、お祓いだけでもさせてくれない?」

それは願ってもない申し出だ。

俺は快く、降ってわいた幸運を受け入れる。

「よ、よろしくお願いします」

三十歳の誕生日、今日の俺は珍しくツイている。

この機会に、しっかりとお祓いをして、人生再出発だ。

しかも無料!

居間に上がり込んだ俺の救世主は、ぐるりと部屋を見回した。

そして、部屋の一角をキッとにらみつけると、『キエーッ!』という奇声を発してから、なにやらぶつぶつと呪文らしきものを唱え始める。

凄い迫力、本格的な本物の祈祷師のお祓い、初体験だ。

二、三分は続いた、その高貴かつ無料なお祓いを邪魔したくなかったので、俺は神妙な面持ちで、正座をしたままじっと聞きほれていた。

実にありがたい、これで俺の不運ともおさらばだ。

祈祷が終わったとき、バアさんは厳かな雰囲気で座り直し、振り返って俺を見つめた。

「あなた、毎日辛いことばかりおきてるんじゃない?」

「何でわかるんですか!」

「そりゃ分かるよ」

「本当に?」

「あたしを何だと思ってるのさ」

そのお婆さんは、急に小声になってささやく。

「あたしはね、顧客に有名人とか、政治家なんかが沢山いる、れっきとした祈祷師なんだよ。一回の祈祷で五十万円出す人もいるんだよ。そんなあたしに、ただでみてもらったって他の人にばれたら、あんたあたしの熱狂的な信者に、殺されるよ」

下から見上げるその鋭い目つき、このバアさん、やっぱタダ者じゃない。

熱狂的な信者って、どれくらいいるんだろう、一万人? それとも、百万人?

「なんでも聞いてあげるから、言ってごらんなさい」

そう言ってこの聖女は座り直し、姿勢を正して静かに目を閉じた。

俺は、改めて背筋を伸ばした。

聞いてもらいたいこと、誰にも言えなかったこと、払いのけてほしい不幸なら、有り余るほど持ってる。

「えっとですねぇ」

迷い込んできた老猫が、ぴょんと膝の上に飛び乗った。

「そこでしゃべったらイカンだろ。つーか、どうして家にあげた」

「なんで?」

「こいつは本物の祈祷師なんかじゃない、ただの詐欺師だ」

「どうして分かるの?」

「魔法の臭いがしない。コイツは、本物じゃない」

老猫は、俺を見つめて言う。

「お前が話した話しを元ネタにして、延々と話しが続くぞ。それはコイツが予見したんじゃない、お前が自分でしゃべったことを、言い換えてるだけだ」

膝の上の猫は、物知り顔で俺を見上げる。

「どうしてそんなことを?」

「それが、こいつらのやり方だ」

俺と老猫との会話に、凄腕女祈祷師が割って入る。

「どうしてそんなこと? なにか、ありましたかな?」

ゆったりと構える祈祷師に、膝の上でしゃべる猫。

「うちの不幸の臭いが分かったからここに来たんだし、それがどんな不幸で、俺が毎日どんな辛い思いをしてるかって、もう分かってるんでしょ」

「もちろん」

女祈祷師は、自信満々で答えた。

「だったら、適当なウソを言ってみろ」

「ウソ?」

膝の猫がわめく。

「絶対にあの女、答えられないぞ!」

「そんなの、失礼じゃないか」

俺は、なだめるように猫の頭をなでた。

「ウソなんかじゃ、ありませんよ、失礼なのはどちらです?」

俺と猫は、バアさんを振り返る。

このオバアさんには、この老猫の声は聞こえていないらしい。

「怪しすぎるだろ、こいつ」

自分を魔法使いだと名乗る、しゃべる猫はなかなか納得しない。

「人の不幸で商売なんて、普通しないよ」

「今に金の話しがでるぞ」
女祈祷師は、そのしわだらけの顔を、人懐っこくねじ曲げた。

「商売のつもりはないの、人助けのつもりでやってるから」

「でたな、人助け! こいつにつける薬があったら、こっちが知りたいわ!」

「そんなことないって」

大体、人間の世界の出来事を、猫になんか分かるわけがない。

「俺のこと、バカにしてる?」

「バカになんかしてませんよ! そこまで私を信じないならね、ほら!」

女祈祷師は、カラフルなみの虫衣装の下から、名刺を取り出した。

「あたしはね、キチンと教育を受けた、本物のスピリチュアルカウンセラーなんだよ!」

「私は魂の指導者だ!」

「そっちの方が怪しいだろ!」

俺は、膝の猫に向かって叫んだ。

猫はムッとした顔でうずくまる。

俺は猫に向かってそう言ったつもりだったのに、目の前の祈祷師も、猫と同じようにムッとした態度になってしまった。

「あなた、幸せになりたくないの?」

「おまえは、魔法使いになりたくないのか?」

目の前の不思議な祈祷師と、膝上のしゃべる猫が、一斉にたたみかける。

一人と一匹から投げかけられる、強い視線。

修行してなる魔法使いと、与えられる幸運、答えは決まっている。

俺は、膝上の猫を畳に下ろした。

「幸せになりたいです!」

正座状態から、女祈祷師にていねいに頭を下げる。

「おい!」

「だったら」

わめき散らす猫の横で、ほっとした祈祷師が、肩から斜めにかけていた鞄から、水晶と書類を取り出した。

「この幸運を招く水晶を五千円で買って、様子をみてちょうだい。効果がなかったら、電話してきて。後日、全額返金します」

なんていい人だ。

俺は、こんな風に誠実な対応をしてくれる善人に、生まれて初めて出会った気がする。

「おい! そっから芋づる式に……」

俺は、やかましく騒ぐ猫の口を塞いだ。

「本当に、全額返金してくれるんですか?」

「もちろん!」

「本当に?」

聖女は、大きくうなずく。

「後できちんと連絡が取れるように、名前と住所と電話番号、間違いのないように、しっかり書いておいてくださいねぇ」

ほら、やっぱりいい人だ。
俺は迷わず、ペンを手にとる。

「絶対ウソだから、契約するな!」

その瞬間、猫は俺の手に、がぶりと噛みついた。

「痛っ! 何するんだよ!」

「さっきから、ニャーニャーとうるさい猫だね!」

俺の手に噛みついた老猫に、祈祷師の女がその手を振り上げた。

「まったく、しつけがなってないよ、ここんちの猫は!」

祈祷師の手が、迷い込んだ老猫の上に振り下ろされる。

老女の手が頭に叩きつけられるその直前に、俺はさっと猫を抱き上げた。

「叩かないでください」

俺は猫を頭の上に持ちあげたまま、前を向いている。

「本気で人助けをしようとする人が、自分より弱いものをいじめちゃダメです」

「私はただの猫ではない! 魂の指導者だ!」

「猫でしょ!」

「単なる猫ではない!」

「本当に魔法使いっていうんなら、じゃあなんか魔法を使ってみろよ!」

俺は、抱き上げた猫をちゃぶ台の上に下ろした。

下ろされた猫は、その顔に不敵な笑みを浮かべる。

「では、今からお前の世界の中で、お前の知る最強の者を召喚しよう。この女のウソを暴き、そして追い払う者だ」

その言葉に、思わずごくりとつばを飲み込む。

この猫も、やっぱりタダ者じゃない。

「あのねぇ、あたしは魔法使いなんかじゃなくて、スピリチュアルカウンセ……」

サラリと乾いた音がして、居間のふすまが開いた。

「ただいま」

「うわぁっ!」

突如現れた、その『最強の者』の姿に、俺は本気で真剣に腰を抜かした。

『最強の者』は、カラフルなみの虫祈祷師の婆さんに、冷たい視線を投げかける。

「この人だれ? あんた、また変なの拾ったの?」

現れたその女は、ちゃぶ台の上にあった祈祷師との契約書を手にとった。

「なによこれ」

「これは、幸せを呼ぶ水晶でしてねぇ……」

突然のこの乱入者に対し、祈祷師は急に声色を変え、実にへりくだった謙虚な態度で接する。

「あぁ、詐欺師か」

「なんでそんなことが分かるんだよ!」

コイツの姿を見るのは、実に一年ぶりだ! 

めったにここにはやってこない、なにも知らないこんな奴に、俺の人生に全く無関係なこんな女に、もうこれ以上騙されてはいけない!

「こ~んなよくある手に、わざわざひっかかるあんたの方がびっくりよ」

「どうして、そんなことが簡単に言えるんだよ!」

俺は持っていたペンを、床にたたきつける。

「あの、こちらの方はどなた?」

祈祷師の声に、俺の天敵はにっこりと微笑んだ。

「あぁ、私は、この子の姉です」

俺の天敵、義理の姉、二番目の連れ子、荒間尚子、三十五歳。

「私のこと、ご存じないですかねぇ」

尚子は持っていた鞄の中から、一冊の本を取り出した。

その本の表紙は、もちろん本人の顔写真ドアップ。

タイトルは『私の真実~年商二十三億を十年で築いたその華麗なる軌跡~』実用書籍で今年の売り上げトップテンに入る、人気の経営本だ。

「実はここ、私の実家なんですぅ」


尚子はにっこりと微笑んで、祈祷師の女に握手の手を差し出した。

祈祷師は、本の表紙と実際の顔を、何度も見比べる。

「まぁ、どこかで見たお顔だと思ったら」

「カリスマ経営者の、荒間尚子でっす!」

おずおずと差し出した祈祷師の手を、尚子は強く握りしめて振り回した。

「まぁ、ではこんな水晶も必要ないですわね」

さっきまでの尊大な女祈祷師が、今では半分の大きさになってしまった。

そそくさとちゃぶ台の水晶を鞄にしまい、書類も片付ける。

「えぇ、いりません」

「じゃ、帰ります」

飛び去るように消えていったバアさんの背中を見送って、尚子はため息をついた。

「あんたも相変わらずねぇ」

「な、本当だろ」

態度のでかい尚子の足元で、同じくらい態度のでかい猫がふんぞり返る。

「なんで突然、ここに来たんだよ!」

「けっこうな言いぐさよね」

尚子は、足元の猫の頭をなでた。

「お父さんの葬式以来じゃない。今日は一周忌でしょ」

「覚えてたのかよ」

「もちろん」

そう言った尚子は、鞄の中から、小さな細長い箱を取り出した。

「あんたの誕生日も」

受け取ったその箱を、開いてみる。

自分では絶対に買わないような、高級万年筆だった。

店先に並ぶ、雑誌の特集か広告でしか、見たことのないようなシロモノ。

「去年はバタバタして、誕生日、出来なかったからね」

「お前らになんか、絶対に祝われたくないけどな」

「まぁ、失礼ね~」

そんなことを言い合いながらも、尚子は好き勝手に部屋の真ん中に座ると、リモコンでテレビをつけた。

猫も満足げに、台の上に飛び乗る。
「あら、この子も頑張ってるのね」

テレビ画面を彩るのは、今大人気のアイドルグループ、そのセンターを勤める女の子の、生き生きとしたダンスシーン。

「桜坂花百合隊のちりりんと言えば、いまや泣く子も黙るトップアイドルじゃない」

「お姉ちゃん程じゃないけどね」

振り返ると、そこには再び悪夢のような光景が広がっていた。

俺の天敵その二。義理の妹、三番目の連れ子、荒間千里、十六歳。

「お姉ちゃんも来たの?」

テレビに映っている姿とは似ても似つかない、地味な格好。
白のブラウスに、紺のジーパン、ノーメイク。

「だって、今日はお父さんの命日だもの」

「忙しいのに、よく時間取れたわよね」

千里は、俺の目の前にどかっと座ると、大きな紙袋を取り出した。

「で、これは、お兄ちゃんへの、お誕生日プレゼント」

袋の中身は、自分たちのCDアルバムと、数十枚のサイン色紙。

「ほら、予約殺到で売り切れ続出してるじゃない? うちの店でも売ったら、ちょっとは売り上げに貢献できるかなぁーと思って」

「さすが賢い!」

「でっしょ~」

全く血のつながりのない義理の姉妹が、手を取り合って喜ぶ。

全員、他人同士。なのに、家族。

「じゃあさっさと拝むだけ拝んだら、自分ちに帰れよ! お前ら二人ともクソ忙しいんだろ、俺と違って!」

「まぁ、そんな冷たいこと言わないでよ」

「そうだよ、お兄ちゃん」

「血は繋がらなくても、兄弟は兄弟なんだから」

二人は仏間に入ると、三つ並んだ位牌を見上げた。

仏壇の最上部には、俺の母さんの位牌。

他の二人には悪いと思うが、どうしてもこの位置だけは譲れないし、譲る気もない。

だから、次の段には、尚子の母さんだった人の位牌と、千里の母さんの位牌が並べておいてある。

この配置も、譲れない。

「うちの母さんのも、並べてくれてんだ」

尚子はそう言って、仏壇の鐘をチンとなした。

それぞれ三つ並んだ位牌の前には、三組のお供えが同じようにしておいてある。

そういえば、尚子がこの家で手を合わせるのは、初めてのような気がする。

「あの人が、『私もお供えしてほしい』って、言ったから」

「骨は向こうの実家に、持って行かれちゃったもんね」

尚子は、俺の父親と名を連ねた、位牌を見上げて言う。

「お墓も、どこにあるのか、知らないんだ、私」

「他のお願いは、何にも聞いてあげてないし」

俺の母親が死んでから五年後、尚子を連れた、自分より十一歳年上の女と、親父は再婚した。

当たり前のように、俺との関係は最悪だった。

「でも、こうしてちゃんと飾ってくれてるから」

俺の母親と連名の位牌を見て、私も同じようにお供えしてほしいって言ったのが、最期の言葉。

「言われたから、やってるだけ」

「ふふ、ありがと」

尚子の母親とは、うちに来てからもほとんど口をきかなかった。

反発しまくってるうちに、勝手に病気になって、勝手に死んだ。
「そういえば、お父さんの戒名代ってどうしたの?」

俺は正直、お前らにあのクソ親父のことを、『父さん』とか気軽に呼んでほしくないし、自分のことも兄弟だなんて、思われたくない。

「知らない。親父が自分で勝手に考えてた名前を、彫ってもらった」

うちみたいな貧乏本屋に、そんな金は出せない。

だから親父は、自分の戒名を自分で考えてた。

本当に馬鹿で非常識な男だ。

「なんかそれって、和也のお父さんらしいよね」

今度は千里が笑って、自分の母親の名前が刻まれた位牌を指差した。

「でも、うちの母さんも、全く知らない誰かに名前をつけられるより、お父さんに名前を付けてもらった方が、うれしかったと思うよ」

千里は九歳の時にこの家に来た。そして十一歳で、事故で母を亡くした。

その時の入院費用がかかりすぎて、まともな葬式もしていないし、最低ランクの戒名代も出せなかった。

「位牌とかいらないって、言ってたのに」

「『3つも位牌が並んでたらおかしいから、私はいいや』って、言ったんだ」

その頃から生意気だった千里は、母の死後、すぐにここから飛び出して芸能界に入った。

「だから、作った」

その結果、こんな異様な風景が出来上がった。

同じ男の名前の隣に、それぞれ違う女の名前が連なった三体の位牌。

「ま、確かに変だよね」

尚子と千里は笑ったけど、俺は笑えない。

いつの間にかすっかり居着いている猫が、その頭を俺の足にすりつけた。

俺がどんな気持ちで過ごしてきたのか、お前らには絶対に分かってほしくない。

線香の臭いが充満する部屋で、チンチンと呼び鈴のように鐘をならして、申し訳程度に手を合わせた後、千里は両腕を伸ばして大きく伸びをした。

「あー、お腹へったぁ! そういえば、あっちにご飯おいてあったよね」

「私も食べるー」

千里に続いて尚子まで立ち上がり、俺の最高の誕生日メニューを物色している。

「おい! ちょっと待て!」

「やだ、もうお昼じゃなーい」

「お姉ちゃん、ケーキもあるよ!」

「お参りしたら、帰るんじゃなかったのか!」

「そんなこと、一言も言ってないし」

「そうだよねぇ」

二人は勝手に台所に入り、冷蔵庫を開け、俺が作り置きしておいたおかずのタッパーを次々と皿にあけていく。

「おい、やめろ! 勝手に触るな!」

そこはお前らが勝手に触っていいところではない。

タッパーの順番は賞味期限、痛みやすさ、作った日時、熟成期間、栄養バランス、その他もろもろ全てを考慮したうえで、綿密に計算され配置されているのだ!

「あ、そうそう、あたし、今日からここに住むから」

「はい?」

尚子がとんでもないことを口にする。

「あー、そうなの? 実はわたしも~」

「なんで!」

「税金対策」

「そんなの、俺が認めるわけないだろ!」

二人はおかずののった皿を、がしがしちゃぶ台にのせていく。

尚子は、台の上を一通り見回して言った。

「私のお茶碗は?」

「急にそんなこと言われて、許可できるかよ!」

「ねぇご飯。早くお茶碗出して」

この女共に限らず、人間というものはその性質上、お腹がすいていたら、まともに人の話しも聞けないし、思考力も落ちる。

俺はずっと置きっ放しになっていた、尚子の茶碗を棚から取り出した。

「今日から同居するとか、聞いてないけど!」

話しを円滑に進めるために、俺はその茶碗にご飯をよそう。

けっして尚子の命令に対し、従順に反応しているわけではない。

それ以外に他意は全くもって一ミリもない。

「こないだ税務職員が来たでしょ」

「あぁ、なんか書類持ってきて」

「箸」

尚子のお箸は、深い緑のキラキラの柄のやつ。

「税金対策でここの本屋の赤字経理を利用してるんだけど、監査がうるさくってさ。住民票、ここに移して住むから」

「はぁ?」

「大丈夫よ、ほとぼりが冷めたら、ちゃんと自分ちに帰るから」

尚子は平然とみそ汁をすする。

「住民票移すだけだから」

「それって、結構なことじゃない?」

「なにが?」

まるで本当の家族みたいじゃないか……なんて、口が裂けても言えない。

「あんた、私をなめてんの」

反論の出来ない俺に向かって、平気でそんなことをいう奴だ。

本音と建て前なんて、別に決まっている。

つまり、税金対策以外のなにものでもない。

「もー待てなぁ~い、いただきまぁーす!」

ほんのわずかの間気を抜いていた隙に、千里は俺の使っていた箸で、食べかけのごはんに手をつけた。

「ちょ、それ俺の!」

「だってお兄ちゃん、私もうお腹すいて、我慢出来ないんだもん!」

とにかくコイツの場合は、なにをしでかすか全く予測がつかない。

だから、コイツの暴挙を防ぐためには、俺は常に先回りして行動する必要があるのだ。

「で、あんたは? 今が盛りの人気アイドルが、なんで実家に戻るの? 今度は何をやらかしたわけ?」

俺が千里専用の黄色の茶碗を取り出し、朱色に花柄の箸を取り出している間にも、俺の大切なかますの干物が減っていく。

「いやぁ~、ファンの追っかけがすごくってさ」

にやりと笑った千里に、同じくにやりと尚子が応戦する。

「今度は誰との熱愛報道?」

「これ、いっとくけどドラマの番宣で、ヤラセだからね」

千里はそこにあったみそ汁をすする。

「お・れ・の・ご・飯! それ!」

「お姉ちゃんも、ここに住むの?」

千里の目の前に、ご飯を山盛りよそった茶碗と箸と、みそ汁も置いた。

「しばらくの間ね」

「わたしも!」

ついでに、尚子のみそ汁も文句を言われる前に追加しておく。

「ホント、実家って便利だよねぇ」

二人はケラケラ笑ってるけど、俺にとっては、死活問題だ。

「俺のご飯!」

とりあえず二人の食事の準備が整った。

ここで、ようやく俺が怒っていいタイミング。

両拳をドンと台に叩きつけて、やっとおしゃべりが止まった。

「自分で出してきなさいよ」

「自分の食べる分くらい、お兄ちゃんなら他にあるでしょう」

テーブルに並んだ料理を順番に眺めた。

こいつらが勝手に出してきた俺の作り置きおかず。

「あぁ、あった」

残った野菜を千切りにして浅漬けにしたものを、ハムで巻いておいたやつが出ていない。

あれは早めに食べないといけないから、冷蔵庫のまた別の場所にしまっておいたんだ。

それを台所に取りにいったついでに、残っていた煮物も持ってくる。

俺が席についたら、尚子と千里が手を合わせた。

ご飯を食べる時は、全員が席に着いてから、手を合わせて『いただきます』を言う。

俺が唯一、こいつら相手に成功したしつけだ。

「いただきまーす!」

三人の声が重なる。

勝手に入り込んできた猫は、いつの間にか座布団の上で丸くなって寝ていた。
一人で静かに過ごすはずだった俺の誕生日が、親父の命日と重なったせいで、こんなにもにぎやかになる。

食事が終わった後も、結局なんだかんだで、空き部屋になっていた二階の部屋の掃除とか、片付けやらを手伝わされた。

体を動かしていたのは俺なのに、指示していたのだけのあいつらは、頭使って疲れたとかで、夕飯の買い出しにも行かされた。

が、まぁそれはいい。

あいつらが買い出しに行って、料理するとか言いだすと、まともな食事が出来るのかとハラハラして、そっちの方が落ち着かない。

夜になっても、シャンプーがどうとか、シャワーの出が悪いとか、なんだかんだでバタバタして、ずっと振り回され続けた。

俺はすっかりくたびれて、自分の部屋に戻った時には、いつのまにか寝落ちしてしまっていた。

朝になって、二人を追い出すことが不可能と悟った俺は、うるさいのが起き出す前に、朝食の準備を完璧に済ませておいた。

箸置きもみそ汁の温度も完璧だ。

そうしておけば、いちいち顔を合わせなくてすむし、文句も言われずにすむ。

俺はそうやって奴らを出し抜いてやったことで、非常に爽快な気分で店の前を掃除していた。

「私は魂の指導者!」

目の前をさっと黒い影が横切ったと思ったら、昨日の老猫だった。

「あ、おはよう」

「お前はそれでいいのか」

「なにが?」

「このまま、何もない無能かつ平凡な男として、一生を終わらせるか」

足元にうずくまった老猫の鋭い目が、キッとにらみつける。

「それとも、修行をつんで魔法使いになるか」

この猫は、どこまで本気でそんなことを言ってるんだろう。

確かに魔法使いは魅力的だけど、修行となると面倒くさい。

「えぇ~、でも俺、面倒くさいこととか、しんどいことって、基本嫌いなんだよねぇー」

「このままだと、あいつらのいいように使われて人生が終わるぞ」

「あいつらの、いいように使われる?」

あいつらって、どいつらのことなんだろう。

昨日来た祈祷師? それとも、時々店にやってくる万引きの常習犯? 

それとも、やたら高慢な商店街のお偉いさんたちのこと?

この先俺を、いいように扱うであろう可能性のある人間の数を想像してみると、急に背筋がぶるっと震えた。

違う、そんなどうでもいい奴らのことじゃない、うちに転がりこんできた、あの女共のことだ!

「そんなこと、いいわけないだろ!」

「よし! 作戦会議だ!」

「作戦会議だ!」

店の中に飛び込んでいった老猫を、慌てて追いかける。

店に入った猫は、当たり前のようにレジ台の上に飛び上がり、俺がいつも座っている座布団の上に腰を下ろす。

「あのさ、猫が苦手な人もいるんだから、そこはやめてくれない?」

「私は魂の指導者!」

「あぁもう、分かったよ」

それを認めないと、話しが進まないらしい。

俺は時々やってくる常連のお婆ちゃんのために用意してあった座布団を、レジ横の座布団の隣に並べた。

「じゃあ、ここにして」

老猫は、案外すんなりと場所を移動してくれる。

「まずは、どんな魔法使いになりたいかだ。その方向性によって、修行の内容も変わってくる」

「えー、修行って、本当に必要なの?」

「当たり前だ!」

「うぅ~ん、どうしよっかなぁ~」

俺は、自分が魔法使いになった姿を想像してみる。

箒で空を飛べても、店番をしないといけないから、出かけることは出来ないし、お部屋を綺麗にする魔法だって、普段からこまめに掃除しているから、特段必要ではない。

「やっぱ、いいや」

「なにか叶えたい望みはないのか?」

「俺の、望み?」
のれんで仕切られた背後の居間から、にぎやかな笑い声が聞こえてきた。

どうやらあの二人は、テレビのワイドショーに写っている自分たちの姿を見ながら、盛り上がっているらしい。

「まずは、あの女をどうやって追い出すかだ」

「あの女って、どっちだ」

「大きい方!」

千里だけなら、まだなんとかなる。

しかし、尚子と一緒になると、とにかく上から目線で攻められるから、かなわない。

千里がうちに来た時はまだ小学生だったから、一緒に住んでた時期もあるし、扱いには慣れてる。

けど、尚子の方は親父が再婚した時にはもう大学生で、ほとんどずっと大学の図書館で勉強してたから、うちには寄りつかなかった。

「血はつながらなくても、姉として認めたんじゃなかったのか」

「やめた!」

もしかしたら、その頃十五歳だった俺に、遠慮してたのかもしれないと思ったこともあったけど、そもそもが、そんな殊勝な考えを持ちそうなタイプじゃない。

「やっぱ嫌いだ」

あいつは、自分の母親が病気で倒れたとき、奨学金で海外留学をしていた。

病気になってしまったことを、親父にも娘にも隠し通そうとしていたあの人を、俺は影で支えた。

「なんでろくに話したこともない、見ず知らずの連れ子と同居しなくちゃならないんだ。おかげで俺は、二人目の母さんにふりまわされたんだ」

俺が馬鹿だった。

もっと早く、そのことを誰かに相談しておけばよかったんだ。

「あいつを追い出す魔法を使って。そしたら、あんたを魂の指導者として認める」

もう二度と、あんな思いはしたくない。

「それで、導師って、呼ぶ。導師を信じて、魔法使いの修行をする」

俺は本気だ。その願いが叶うなら、鬼にでも悪魔にでもなってやる。

「いいだろう、お前の望みは叶えられた」

「え?」

「追い出したぞ」

「えぇっ!」

「確認してみろ」

その言葉に、俺はのれんの奥へと走った。

飛び込んだ居間には、確かに千里だけしかいない。

「あいつは!」

「あいつって、お姉ちゃんのこと?」

ごくりとつばを飲み込んでから、うなずく。

「なんか急なトラブルがあったとかで、さっき連絡が入って、飛び出していっちゃった」

「そうなの?」

「なんか、二、三日は帰ってこれないかもって」

頭の中で、色んなことがぐるぐるとまわってるけど、その正体が俺にはよく分からない。

千里はそんな俺を見ながら、眉をしかめた。

「なによ」

「いや、なんでもない」

俺はゆっくりと後ろに下がって、再び店のレジ台に戻る。

目の前には、一匹の老猫。信じられない。

「修行、始めるか?」

「あれ、本当に導師の魔法?」

偶然と必然。可能性と蓋然性。

あるかないかと、確率の問題。

正直、学校の成績なんて、いい方じゃなかった。難しい話しは分からない。

けど、今目の前にいるこの不思議なしゃべる猫は、どうしてここにいるんだろう。

それは、嘘じゃなくて、本当のこと。

「信じるか信じないかは、お前次第だ」

導師は黙ってうずくまり、丸くなって目を閉じた。

俺を試すつもりなら、俺もこいつを試してやる。

「じゃあ、もう一人も追い出してよ! あのちっさい方!」」

導師の耳が、ぴくりと動いた。

「では、お前がやってみろ。お前があの妹を追い出せばいいじゃないか。それが望みなら、そうすればいい」

うずくまったままの導師の、両目がうっすらと開いた。

「私が魔法を使って、追い出すことは簡単だ。自分で追い出せないのなら、魔法を習ってから、自力で追い出せばいい。これが最後通告だ。おまえに魔法を習う気がないのなら、私はここを去る」

導師は丸くなったまま、じっと動かず目を閉じている。

そうだ、猫の導師に出来るなら、俺にも出来ないはずはない。

もしもあれが偶然であるならば、俺にも同じ偶然があるはず。

それに気がついた俺は、めったに客の来ない本屋の店番を抜け出して、奥の居間に戻った。

目に入ったのは、誰もいない部屋。

台所の方から音がして見上げると、千里が廊下へと出て行くところだった。