「菜々子ちゃんが、俺でもいいんなら、俺はいいよ」

彼女は、彼女にふさわしい、子供っぽいはにかみを見せてくれた。

「じゃあ、そうする」

なんだかうれしくなって、ついにっこり笑った俺に、菜々子ちゃんも笑う。

「なんだよそれ! じゃあ俺も一緒に勉強する!」

「ははは、いいよ」

「なによそれ、私の邪魔しないでよ!」

「それはこっちの台詞だ! あ、でも」

北沢くんが、俺を見上げた。

「でも、ここのうちのことは、秘密にしておかないと」

「なんで?」

「だって、ちりりんが……」

あぁ、そうだった。忘れてた。

まずはあいつらをどうにかしないことには、やりたいことも、何も出来ない。

「ちりりんって、なに?」

「なんでもないよ。じゃあ、ここで勉強するのは、三人だけの秘密ね」

俺がそう言ったら、二人は快くうなずいた。

菜々子ちゃんは、さっそく料理の本を広げ、分からない漢字を聞いてくる。

俺は本物の調理道具を、台所から持参した。

その日からほぼ毎日のように、菜々子ちゃんと北沢くんは、うちにやってくるようになった。

午前中は学校に行って(たまにサボった北沢くんが来るけど)、午後からの数時間をうちで過ごす。

本当に勉強がしたいらしい菜々子ちゃんは、店のドリルや参考書、問題集を立ち読みして、その問題を記憶してから、居間で学校プリントの裏の白紙に書き写す。

何度も何度も店と居間を往復して、ホッチキスで留めたオリジナル参考書を作る。

俺と北沢くんは、そんな菜々子ちゃんを見ながら、お菓子を食べたり、テレビを見たりする。

「なんでそんなに勉強すんの?」

北沢くんが聞いたら、菜々子ちゃんは問題を解きながら答えた。

「自分で稼げる人間になりたいから」

菜々子ちゃんは、とっても大人だ。

お料理の本は、もう大体覚えたから、うちでは自分でご飯も作るらしい。

お菓子の粉まみれになった指をなめながら、男二人はぼんやりと勉強する菜々子ちゃんを見ている。

「あいつは、魔女になるな」

午前中の、二人ともいない時間が、俺と導師の修行タイムになった。

最近はもっぱら、居間か庭先が修行の場だ。

縁側の上で、後ろ脚で首の後ろを掻きながら、導師は続ける。

「女はみんな、魔法使いになる要素を持っている。それに気づいてる奴は、少ないけどな」

「菜々子ちゃんは、魔女になる?」

「本人がその能力に気づいて、なろうと思えばな」

「ふーん」

導師はきちんと座り直して、俺を見上げた。

「私は魂の指導者。さて本日の修行だが、お前の目指す魔法使いとは、なんだ?」

「えっと、一番強い魔法使い。黒魔道師、攻撃系の呪文使うやつ」

「大魔王?」

「そう、それ! 世界中を、自分の思い通りにしたい」

コホン、と、人間だったら咳払いみたいに、導師はぶるりと頭を振った。

「よろしい。選択に迷った時は、常に難しい方の道を選べ、魔道の基本だ。では、始めよう」

秋口の朝の、柔らかい日差しが縁側に降りそそぐ。

俺はボロい一軒家の庭先で、正座して導師に頭を下げた。

「よろしくお願いします」

「うむ。まずは精神を統一することがなによりも重要だ」

「はい」

「何事にも動じぬ心。齢三十まで禁欲を貫いた者にならば、難しいことではないはずだ」

それはうれしいのか、うれしくないのか、いいことだったのか分からないけど、とにかく大魔王になれるのなら、頑張るしかない。

「はい」

「目を閉じて、意識を腹の底に集中させるのだ。そして、これから私の言うことの……」

ガチャン! という大きな音に、ハッと導師と目を合わせる。

「何事?」

その瞬間、導師が店へと走った。

導師が熱心にのぞき込む店内、その背中の上から、のれんを押し分けて店の奥を見る。

白い影が、視界を横切った。

導師も店の外へ飛び出す。

真っ白い、大きな猫だ。

「追いかけるの?」

店を無人にするには気が引けるが、どうせ誰もこないし、盗まれて困るものも何もない。

修行の中断は気になるけど、導師がいないことには、どうしようもない。

俺はサンダルを引っかけると、後を追った。