ラシェル姫は、確実にリゼットの命を狙っている。しかも、異世界に来たばかりのオレの命も狙い始めていた。アレクシス公爵の妹らしいので、オレが彼を傷付けたことも広まっているらしい。わずか1時間ほどで注目の魔術師と見なされていた。

「ふん、火龍を召喚して、手下の兵士を倒したのは見事でした。でも、所詮は付け焼き刃、私の前では、この火龍の様に手も足も出ずに無様に負けることを覚悟なさってください。もちろん、お兄様を傷付けた罰として、すぐには殺さずに絶望を感じさせてあげますよ」

 ラシェルは、上着の赤いコートを脱ぎ捨て、黒色の軽いワンピース姿になっていた。服装を軽くして、スピードを上げている様だ。オレのスペルセンスをまだ理解していない為、どんな状況にも対応できる様に動き易い服装を選択したのだ。

「ふん、オレと対峙するならば、全世界を相手にする気で本気でかかって来い! オレは、元の世界では10万字以上の小説を書いていた男だ。もちろん、その小説は飛ぶように売れて、年間10万部を売り上げていたほどの小説家なんだぞ……」

 ラシェルは、小説の売り上げ単位10万部が良く分からずに、眉をひそめて疑問を持ったような顔付きをしていた。小説という物は知っているが、国や地域によって売り上げや人気度は格段に違う。一概に10万部といっても、ピンからキリまである事を見抜いていた。

「売り上げ10万部ですか。金額にすると、どのくらいの収入なのでしょう? 一軒家くらいは買えるのでしょうか?」

「うっ、それは……」

 オレは、自分の書いた小説で10万部も売り上げていない。それどころか、書籍化さえも不可能だった。所詮は、異世界での出来事だからハッタリで使ってみようと思ったのだが、ラシェルには驚かすことさえできなかった。オレのハッタリを見抜いて不敵に笑う。

「うふふふふ、ハッタリは貫き通さなくては意味がありませんよ。所詮は、ラッキーパンチでお兄様を退けた程度の男ですね。死の喜びという物を存分に味わってから逝かせてあげましょう♡」

「くう、ガキが……。大人の男を舐めるんじゃないぞ!」

 ハッタリが通用しない以上、スペル同士の直接対決をするしかない。どちらがよりカッコイイスペルを言えるかで勝敗が決まるというシビアな世界だ。いくら10万字の小説を書いていたとしても、結果がともわなければ自信もあるわけはない。

「ふん、地獄の舞を踊りなさい。『拷問(トーチャー) ポケット内に収まりし、小さな拷問機械よ。敵の親指を拘束して、死なない程度の苦痛をもたらすが良い。喰らいなさい、“第一の拷問・親指潰しの即興劇(エチュード)”!』」

 オレの親指が両方とも、怪しい機械によって強制的に拘束される。両手が縛れたような状態で拘束されて、親指だけを怪しい器具がキリキリという雑音を奏でながら締め上げられていく。器具に指が当たったと思った瞬間、恐ろしいほどの痛みが押し寄せてきた。

「ぎゃああああああああああああ、指が潰れる!」

「あははははは、どうせ無抵抗なリゼット姫の胸を揉んだんでしょう? 多少は2人きりの時間があったものね。アレクシスお兄様ですら触らなかった秘部に手を触れたのだもの。このくらいの痛みは当然よね。痴漢により刑罰も、このくらい過激でないと治らないわよ!」

 こうして話している間にも、指はキリキリと音をたてて締め上げられていた。男ながらに涙を流すが、さすがにこれ以上のダメージを受けるわけにはいかない。売れていないとはいえ、小説家にとって指は命だった。むざむざと拷問で親指を失うわけにはいかない。

「『召喚(サモン) オレの両手よ、火龍の鎧を纏って保護してくれ……』」

 オレは、苦し紛れのスペルを唱える。痛みによって思考が上手く回らないが、なんとかスペルを唱えることができた。その瞬間、オレの手が灼熱の鎧を身に纏い、親指の拘束器具をトロリと溶かしていた。

「ふう、もう少しで指が持ってかれるとこだったぜ!」

「ふーん、激痛でスペルも唱えられないと思っていたけど、少しは根性があるようね!」

「ふん、10万字の小説を書いたのは嘘じゃない! 根性だけなら、元の世界の誰にも負ける気はないぜ!」

 オレは、無事だった親指を立てて、ラシェルを挑発する。彼女の表情から笑顔が消えた。どうやらオレを強敵と感じて、更なる拷問(トーチャー)魔術を繰り出す気のようだ。ただ痛みを与えるだけのつまらない魔法では、オレにはもはや通用しない。

「『拷問(トーチャー) 少女の仮面を付けられた恐るべき拷問機械よ。今こそ我が眼前に姿を現して、敵を幾たびのトゲで串刺しにするが良い。その流れ出る血と叫び声がお前のエサとなるのだ。現れよ、“鉄の処女(アイアンメイデン)”』」

 拷問器具の代名詞“鉄の処女(アイアンメイデン)”がオレの眼前に姿を現した。その重い扉が開いて、オレをブラックホールへ引きずり込むかのように中へと吸い込まれていく。このまま中へ入ってしまえば、無数のトゲに刺さって激痛が続くのだ。

「ふん、いきなり“鉄の処女(アイアンメイデン)”とはな……。悪いが、そんな骨董拷問器具は、すでに小説家の中では当たり前の物になっている。お前に、教えてやるよ。本当の闇の世界というものをな……」

 オレは、すでに元の世界で本当の闇を体験してきた。夢と希望に満ち溢れた10代には耐えられないような拷問さえも受けて来ている。その一部分だけを彼女に体験させるスペシャルマジックを思い付いた。果たして、彼女はどれだけ耐えられるだろうか?

「『亜空間(スペルスパティウム) 闇の世界に呑まれし邪悪よ、今こそ彼女に本当の地獄を体感させてやろう。行くが良い、“闇社会(ダークソサエティ)”へ』」

 オレの作り出した亜空間魔術によって、オレとラシェルは闇の世界へ呑み込まれていった。これは、消滅系の魔法ではない。わずかの時間を使って、彼女に地獄の苦しみを体感させる精神的な拷問(トーチャー)魔術といったところだ。そこでの経験を経て、彼女はより美しくなるのだ。