命賭けで戦闘に参加する自分と、それに抗議する彼らを比較しながら、妹尾は、あのやり方では大切なものは守れないと考えていた。暴力を打ち破るために必要なのは、より強大な暴力。そう考える妹尾が、暴力の連鎖が辿り着く果てに思いを巡らすことはなかった。

第2落下傘連隊でも、他の連隊同様に隊員間の諍いはあった。外人部隊は本来、国も言語も、肌の色も違う人間の集団である。思想の違いなどといった大げさなものでなくとも、ちょっとした行き違いから隊員同士の殴り合いに発展することも珍しくない。
上官も、よほど目に余る行為でなければ、ストレスフルな日々のガス抜きとして、見て見ぬふりをすることが多い。妹尾も、そんなトラブルに一方的に巻き込まれたことがあった。
ビクター・スルエフという名のそのセルビア人は、民族主義の緊張が極めた高かった当時のセルビア社会主義共和国からやってきた軍人だった。熊のような巨漢で、胸板の厚さは一般的な男性の三倍近くありそうだった。戦火を潜り抜けてきた優秀な兵士であることは事実だったが、粗暴な性格から、妹尾の所属する中隊でもトラブルメーカー的な存在として知られていた。
そのビクターの、アジア系隊員に対する態度が日増しに悪化していった。訓練を終えた妹尾たちが基地内のバーでくつろいでいると、入店してきたビクターが人種差別丸出しの言葉を、わざと妹尾たちに聞えるように喚き散らす。世界各国から様々な人種が集まる外人部隊ではあるまじきその態度を、妹尾だけでなく韓国や中国からきている隊員も苦々しく感じていた。
ある日、訓練中にミスをした中国人隊員をビクターがぶちのめして失神させたことがあった。この暴行行為に対し警務課の正式調査が入り、複数の隊員からの証言によって、ビクターは営倉行きを命じられた。これに懲りてビクターの態度も変わるかと中隊の誰もが期待したが、結局それは裏切られることになった。
ある夜、バーで飲んでいた妹尾の隣に奴が座った。
「よぉチビ。おめぇ、いつも俺に文句があるって面してるよな。なんか言いてぇことあんなら言ったらどうだい」
沸き立つ怒りを悟られまいと、何とか平静を装いながら、妹尾は黙ってビールを飲み続けた。
「そんな根性もねぇか。おめぇみてぇな軟弱野郎は戦場では足手まといなんだよ。俺たちに迷惑かける前にとっとと国に帰んな」
妹尾は、静かに呼吸を繰り返して心を静めると、ビクターに向き直った。
「なぁビクター。俺はビールを飲んでるだけだ。あんたに迷惑でもかけたか?」
その言葉に、バーにいた全ての隊員たちが思わず妹尾の方を見た。
「ああ、チャイナだかジャップだか知らねぇが、おめぇらの存在自体が目障りなのよ。大迷惑だね」
さすがに見かねた一人の隊員がビクターに注意しようと立ち上がりかけたが、それより早く妹尾が言った。
「分った。明日、訓練が終わったらあんたの相手をしてやる」
思いもよらぬ妹尾の言葉に、あっけにとられて一瞬固まったビクターだったが、やがてにやりと笑った。
「待ってたぜ、その言葉。これで堂々とてめぇをぶん殴れる理由ができたってこったな」
「さぁね、どうだか」
「訓練時間外の個人的な喧嘩ってことを忘れるなよ。営倉行きは二度とごめんだからよ」
豪快に笑いながら妹尾の背中を力強く叩いて、ビクターはバーを後にした。
つい、かっとなって大見えを切ってしまったが大丈夫だろうか。叩かれた背中から全身に伝播するような痛みをじんじん感じながら、妹尾はちょっと不安になってきた。
だが、ここで引き下がったら状況は一向に変わらないままだ。きっちりと奴を懲らしめて態度を改めさせるしかない。例え、この件が問題になって営倉行きになろうが構わない。体格差をものともしない七帝柔道をたっぷり味わわせてくれる。妹尾はそう決意した。