二人のやり取りに面食らった舞子だが、やがて何となく理解した。
わたしが、侵してはいけないと常に気をつけているケンさんとの一線を、母は軽々と飛び越えたのではないか。無理やり侵すような乱暴なやり方ではなく、そっと触れるような優しさで。さすが母さんだな。私にはそんなまねは無理だわ。
悦子に感心しながらも、かすかに嫉妬らしき感情を覚える自分を認めたくなくて、舞子は無理やりそれを打ち消した。
レコードは、季節の移り変わりと、男女関係の移ろいを対比させた歌詞が秀逸な曲「四月になれば彼女は」に差し掛かっている。
ケンの中では二つの感情がぶつかり合っていたが、やがて、今はこの平穏な時間を心行くまで堪能しようと決めた。ここ日本で、悦子と舞子がいて、肉体労働に従事しながらつつましく暮らす日々。これこそがケンに与えられた報酬なのかもしれない。望んだところでいつかは失われるものならば、わざわざ自分から捨てる必要はないだろう。
ケンは、少し冷めて、程よい酸味の出てきたコーヒーを口の中で転がした。ヘロインを持ち逃げしたあげくヤクザに狙われたことも、ほとんど忘れかけていた。
「疲れたらいつでもここに戻ってらっしゃい。その時は美味しいコーヒー、淹れてあげるわ」
悦子の言葉は、まるでケンがどこか遠くに旅立つかのような印象を与えた。ケンも舞子も、悦子さえも自覚していなかったが、旅立ちの日、別れの時は必ず訪れるのだという確信めいた予感を、ここにいる全員が心の奥に秘めていた。
わたしが、侵してはいけないと常に気をつけているケンさんとの一線を、母は軽々と飛び越えたのではないか。無理やり侵すような乱暴なやり方ではなく、そっと触れるような優しさで。さすが母さんだな。私にはそんなまねは無理だわ。
悦子に感心しながらも、かすかに嫉妬らしき感情を覚える自分を認めたくなくて、舞子は無理やりそれを打ち消した。
レコードは、季節の移り変わりと、男女関係の移ろいを対比させた歌詞が秀逸な曲「四月になれば彼女は」に差し掛かっている。
ケンの中では二つの感情がぶつかり合っていたが、やがて、今はこの平穏な時間を心行くまで堪能しようと決めた。ここ日本で、悦子と舞子がいて、肉体労働に従事しながらつつましく暮らす日々。これこそがケンに与えられた報酬なのかもしれない。望んだところでいつかは失われるものならば、わざわざ自分から捨てる必要はないだろう。
ケンは、少し冷めて、程よい酸味の出てきたコーヒーを口の中で転がした。ヘロインを持ち逃げしたあげくヤクザに狙われたことも、ほとんど忘れかけていた。
「疲れたらいつでもここに戻ってらっしゃい。その時は美味しいコーヒー、淹れてあげるわ」
悦子の言葉は、まるでケンがどこか遠くに旅立つかのような印象を与えた。ケンも舞子も、悦子さえも自覚していなかったが、旅立ちの日、別れの時は必ず訪れるのだという確信めいた予感を、ここにいる全員が心の奥に秘めていた。