ケンが理解できているかどうか不安だったので、悦子はもう一度言い直した。
「コーヒー豆を作っている人たちがいるでしょう?」
「いますよぉ」
「その人たちにとってはね、今の状況はアンフェアなの」
「よくないねぇ」
「でしょ。だから彼らがちゃんとした生活を送れるようにね、適正な金額を払って生産者から直接買うの」
「テキセイ?」
「高く買ってあげるってこと。それがフェアトレード」
舞子が付け加えた。
ケンは、完全に理解したように何度も頷いた。
「頑張っている人は、相応の報酬を受けるべきだから。生産者の生活が楽になれば、がんばってもっと良いコーヒー豆を作ろうって思うでしょ。だから美味しいコーヒーを飲むためにもフェアトレードって大切なのよ」
感心したようにケンは再び頷いた。
なるほど、ただ味が美味いだけのコーヒー豆ではだめなのか。「ゲルニカの木」の豆は、相応の対価を払って買われた、いわば選ばれしコーヒー豆ということか。
それは軍隊も一緒だなと、ケンは自分の身の上にこじつけて考えてみた。
特殊部隊やリーコンのような精鋭を育てるには金がかかる。何せ射撃訓練ひとつとってみても、通常部隊の兵士の何百倍もの弾薬を消費するのだ。最新の武器や装備だって特殊部隊から導入される。つまりは本物のためには、相応の対価が必要というわけだ。
「このコーヒービーン、わたしと同じ」
ケンの唐突な発言に、舞子は「は?」という顔をしたが、悦子は優しく微笑みながら頷いた。
「そうよ。ケンさんと一緒。ずっと頑張ってきたんでしょ。だから相応の報酬を受けなさい。あなたにはその権利があるはずよ」
悦子の言葉も、ケンに負けず劣らず唐突だったので、舞子は益々混乱し「え?」と眉をひそめた。
だがそんな悦子の言葉が、ケンの心には響いてきた。
俺は確かに頑張ってきた。精鋭になるべく全力で訓練に取り組んだ。そして、戦地に送り出されれば、国家のために命を張って戦った。それは今も確信を持って言い切れる。
だが、失敗に終わったあの作戦以来、自分を責めるようになった。あの場で死んでいても不思議はなかったのに、今ものうのうと生きている自分が腹立たしかった。
仲間たちを失った喪失感と、自分だけが生き残ってしまった罪悪感に苛まれたあげく、俺は再びかの地に降り立とうと考えている。そのためにまとまった額の現金を欲している。
そんな俺に対して、目の前のこの尊敬すべき女性は「あなたは報酬を受ける権利がある」と言ってくれた。だが、それは何の報酬だろう。
「報酬?」
「そう。報酬よ。もし誰もケンさんにくれなかったら、自分があげてね」
「自分があげる・・・お金ないねぇ」
「お金とは限らないわ。自分を大切にするとか、優しくするとか、許してあげるとか・・・そんなご褒美だって報酬なんじゃないかしら」
悦子の言葉を聞いたケンは、頑なに閉ざしていた心が、ゆっくりと氷解するような心地よさを感じた。
そうなのか?俺は、自分を許してもいいのか。そうすべきなのだろうか・・・
だが同時に、飛び去るヘリの上から朦朧とした意識で見た光景が蘇った。
炸裂した誘導爆弾により地獄の業火に包まれたジャングル。その熱波で肺が焼かれ、呼吸ができなくなったあの瞬間。今も自分を呪縛し続ける生々しい記憶が、決してケンを許そうとしない。少なくとも倒れていった兄や仲間たちを母国に連れ帰るまでは、平穏な日々など望むべきではない。