舞子は自分の発言を後悔した。
沈黙が気まずくなるより早く、ことみはおどけてみせた
「酷っ!でもね、あたしより頼りになる奴なんて、男でもそうはいないんだから。いつでも電話してきなさいよ」
舞子は照れくさかったが、ことみの言葉がすごく嬉しかった。うつむいてもじもじしながらつぶやくように言った。
「うん、ありがとね」
「もぉ、あたしのかわいい姫、辛い思いしてかわいそうに」
へべれけ状態で酒臭いことみが、抱きつきながら首筋にキスしてきたので、舞子は身をよじって逃れた。
「またぁ、そうやって・・・この酔っ払いの痴女!」
ことみはそのまま酔いつぶれて寝てしまった。
気がつけばそろそろ始発の電車が動き始める時間になっていた。舞子は、辺りを探してメモ用紙と鉛筆をみつけると、ことみに書置きを残すことにした。

「ことみへ
今日は忙しい中、会ってくれてありがとう!いっぱい元気もらったから、また来週からがんばれそうです。いつまでもスタンド・バイ・ミー
あなたの姫より」

半開きの口から寝息を立てて気持ちよさそうに眠ることみを、起こさないように気を使いながら、舞子はそっと部屋を後にした。
辺りはすでに明るくなり始めており、早朝の冷たい空気が心地よく酔いを醒ましてくれた。
来週からまたしっかりがんばろう。ことみだってきつい職場でも挫けずにがんばっているのだから。そう自分に言い聞かせながら、まだ人影のない道を、弾むような軽い足取りで最寄り駅に向かった。

ことみとの再会は、苦痛な仕事に対するカンフル剤になったが、その効果は一時的なものだった。
就職して二年目の冬のある暖かい日。舞子は無意識のうちに、駅の下りホームに立っていた。会社は上り方面にある。
すし詰め状態の満員電車に押し込まれて職場に向かいながら、反対方向に走って行くがらがらに空いた電車にいつも憧れを抱いていた。
あの電車はどこまで行くのだろう?どこでもいいから、今すぐあれに乗って終着駅まで行きたい。
そんな現実逃避願望を、舞子は無意識のうちに実行に移していたのだった。
平日の午前中。乗客の少ない各駅停車の電車に揺られながら、舞子は窓の外を流れる景色をぼんやり眺めていた。毎日使っている路線だが、自宅最寄り駅から先の下り方面に行くのは初めてだった。
外の景色が新鮮で、未知の世界に足を踏み入れたような、ワクワクする気持ちが止まらない。職場を無断欠勤していることなど全く気にならなかった。
一時間近く電車に揺られて着いた終点は、聞いたこともない名の駅だった。
乗り越し精算を済ませて改札を出ると、舞子は大きく深呼吸して新鮮な空気をたっぷり吸い込んだ。
駅の周りにはコンビニが一軒と、小さな会社か何かの建物がいくつかあるだけで、その先には空き地や草原が広がっていた。
駅前ロータリーにはタクシーが一台、客が来るのを待っていた。それに乗ってもっと遠くに行きたい願望が沸き起こったが、そんな贅沢を楽しむほど現金の持ち合わせがないのは、先ほどの精算時に分かっていた。
コンビニに入って、おにぎりとペットボトルのお茶を買った舞子は、しばらく歩いて小さな公園を見つけると、ベンチに腰を下ろしてぼんやりと時間が過ぎるのを待った。