やがて舞子は、目覚まし時計が鳴ってもベッドから出るのに相当な決意を必要とするような状態になった。
電車に乗っていても、会社の最寄り駅が近づいてくると腹痛や眩暈を感じるようになり、途中下車したあげく遅刻することも度々だった。
さすがにまずいと思った舞子は、精神科でカウンセリングを受けようと考えたが、その前にことみに電話をかけてみた。そこでさっそく次の週末に会うことになった。
大学を卒業して一年半以上が経っていた。その間、電話で連絡を取ったことはあったが、直接ことみと会うのは卒業式以来だった。舞台照明の会社に就職したことみは、地方への出張や現場に借り出されることも多く、忙しい毎日を送っていると聞いていた。
特に舞台設営の現場作業は、肉体的にもしんどいと言っていたので、軽々しくことみに電話などすべきでないと気づかって、連絡するのを極力がまんしていたのだ。
待ち合わせ場所に選んだ居酒屋で、ことみが来るのを待ちながらちびちび梅酒ロックを飲んでいた舞子は、いきなり背後から肩を揉まれて梅酒をこぼしそうになった。
「姫ぇ、元気ないぞ!大丈夫かい?」
振り返ると、舞子の記憶よりもずっと逞しく、髪型のせいか男っぽい印象さえあることみがニコニコしながら立っていた。
その姿を見た途端に目に涙があふれ、舞子は自分でも驚いてしまった。
久々に再会したことみは、学生時代よりも大人びていた。それは見た目だけでなく、態度や会話の端々からも感じられた。社会人になってからの一年半、きっと舞子同様に苦労したのだろうが、そんなタフな環境にしっかりと適応しているようだった。
舞子の愚痴に根気よく付き合ってくれて「辛いね」「それ、酷いね」「あたしが殴ったげる」などと優しい声をかけてくれた。
その一方で、真剣な口調でことみに言われた言葉を、舞子は忘れることができなかった。
「就職したらね、いつまでも学生時代のことばっかり引きずってないで、腹くくってさ。裸一貫から出直すつもりで始めるしかないって分かったんだ」
「でもさぁ。大学の四年間がむちゃくちゃ楽しかったから・・・ギャップが辛くてさぁ」
「あんたの気持ち分るよ。でもね、それって期限付きだったからこそ楽しかったんじゃない?」
「期限付き?」
「予め四年間って分かってたわけじゃん。だからこそ、あたしらも全力で情熱燃やすことができたんじゃない?二度と戻れない日々だからこそ眩しくみえるってもんよ」
ことみの言う通りだった。生涯に一度きりの瞬間だからこそ、輝かしい日々に思えるのだ。
居酒屋を出た二人は、ことみの部屋で飲み直すことにした。
深夜放送のテレビを見るでもなく見ながら、すっかりリラックスした二人は、楽しかった過去や厳しい現在、明るい未来に想いを馳せながら尽きることなく話し続けた。
「ところで、あんた彼氏は?」
「そんなもんいたら、ことみに助けなんか求めてないわよ」
ことみがほんの一瞬、寂しそうな表情を浮かべたのを舞子は見逃さなかった。
しまった、冗談でもちょっときつい言い方になっちゃったかな。