会計を済ませながら、栗岩が言った。
「さて、ちょっと駅まで歩こうか」
「でも栗岩さん、遠回りになるのでは?」
「なに、酔い醒ましにはちょうどいい散歩さ。酒の臭いさせて帰るとね、孫たちが寄ってこないのよ。臭い臭いって」
二人は「銀なまず」を後にした。
北の町の名も知らぬ駅で、ケン・オルブライト襲撃に失敗した夜から半月ほどが経っていた。
大けがを負わされた挙句、逃げ帰ってきた新井と堀田のコンビは、鳴海にみっちり絞られて、自分たちの演じた失態に落胆したが、ようやく傷も癒え、新たな仕事を振られて少しほっとした。
俺たちはまだ花山一家から見捨てられてはいないようだ。ならば今度こそ、しっかり役目を果たし十分使えるってことを証明しよう。汚名返上のチャンス到来だ、と二人は意気込んでいた。
新たな仕事というのは、ヘロインの取引だった。ケン・オルブライトから騙し取った五百グラムのヘロイン、末端価格にして7千万円分のブツを別の組にまるまる買い取らせるのだ。
元はといえば唐島興行のもので、棚ぼた式に舞い込んできたヘロインである。強引な手段で強奪しているだけに、今後厄介ごとの火種にならないとも限らない。早々に現金に変えて、自分たちの足跡を消しておきたい花山一家としては、不本意ながら桜田組にまとめて買い取ってもらうことに決定した。
かつては縄張りを巡って抗争を繰り広げたこともある桜田組だが、現在は花山一家の組長、花山譲二が苦労して締結にこぎつけた協定により休戦状態にあった。目下、日の出の勢いでシマを拡張している花山一家ではあるが、無駄な戦争による疲弊を避けるべく、桜田組のシマだけは侵すべからずの方針が徹底されており、両者は少なくとも表面的には友好関係にあった。
桜田組との交渉は鳴海が担当し、一括買い上げ、現金での支払いを条件に四千五百万で手を打った。花山譲二も「ここで欲かいても仕方ないだろ、もともと無かったもんなんだから。それでいけ」と、迅速な取引に前向きだった。
桜田組が指定した取引現場は、放棄され長らく使われていない倉庫群の中の一つだった。そこが桜田組のシマのど真ん中にあるのがどうにも気に入らなかった鳴海は、万が一に備えて現場から数百メートルほど離れた位置に車で待機することにした。新井と堀田がブツを引き渡して現金を受け取ったら、まっすぐ鳴海の待つ場所まで戻り、そこから車で花山一家のシマに帰る算段だった。
新井と堀田は極度に緊張していた。その原因は、取引を成功させて自分たちの価値を認めて欲しい、そんな思いからくる必要以上の気負いだけではなかった。花山一家が桜田組と抗争を繰り広げていた当時、まだ若手だった二人にとって、人生で初めてヤクザの世界における命の値段の安さを実感させられた相手、それが桜田組だった。
それゆえに、なめられてはいけないと虚勢を張って取引に臨んだ二人だったが、吐き気をともなうほどの緊張は隠しようもなかった。
そんな新井と堀田の気持ちはいい意味で裏切られた。取引はいたってシンプルで、ものの数分もかからず無事に終えることができた。桜田組の連中も、過去のことは水に流し、あくまでビジネスと割り切っているのが二人にはありがたかった。
こっそりとトカレフを隠し持ってくるまでもなかった。頭をひねって銃の隠し場所を考えたのが馬鹿馬鹿しく思えた。安堵に包まれた新井は、倉庫を後にするや否や、堀田に軽口を叩いた。
「余裕だったな。これで兄貴の信頼も取り戻せるだろ」
「まあね・・・でも、ここはあっちのシマのど真ん中だろ。兄貴と合流するまでは気を抜けないよ」
四千五百万円分の現金が入ったバッグを抱えた堀田は、まだビクビクしていた。
「さて、ちょっと駅まで歩こうか」
「でも栗岩さん、遠回りになるのでは?」
「なに、酔い醒ましにはちょうどいい散歩さ。酒の臭いさせて帰るとね、孫たちが寄ってこないのよ。臭い臭いって」
二人は「銀なまず」を後にした。
北の町の名も知らぬ駅で、ケン・オルブライト襲撃に失敗した夜から半月ほどが経っていた。
大けがを負わされた挙句、逃げ帰ってきた新井と堀田のコンビは、鳴海にみっちり絞られて、自分たちの演じた失態に落胆したが、ようやく傷も癒え、新たな仕事を振られて少しほっとした。
俺たちはまだ花山一家から見捨てられてはいないようだ。ならば今度こそ、しっかり役目を果たし十分使えるってことを証明しよう。汚名返上のチャンス到来だ、と二人は意気込んでいた。
新たな仕事というのは、ヘロインの取引だった。ケン・オルブライトから騙し取った五百グラムのヘロイン、末端価格にして7千万円分のブツを別の組にまるまる買い取らせるのだ。
元はといえば唐島興行のもので、棚ぼた式に舞い込んできたヘロインである。強引な手段で強奪しているだけに、今後厄介ごとの火種にならないとも限らない。早々に現金に変えて、自分たちの足跡を消しておきたい花山一家としては、不本意ながら桜田組にまとめて買い取ってもらうことに決定した。
かつては縄張りを巡って抗争を繰り広げたこともある桜田組だが、現在は花山一家の組長、花山譲二が苦労して締結にこぎつけた協定により休戦状態にあった。目下、日の出の勢いでシマを拡張している花山一家ではあるが、無駄な戦争による疲弊を避けるべく、桜田組のシマだけは侵すべからずの方針が徹底されており、両者は少なくとも表面的には友好関係にあった。
桜田組との交渉は鳴海が担当し、一括買い上げ、現金での支払いを条件に四千五百万で手を打った。花山譲二も「ここで欲かいても仕方ないだろ、もともと無かったもんなんだから。それでいけ」と、迅速な取引に前向きだった。
桜田組が指定した取引現場は、放棄され長らく使われていない倉庫群の中の一つだった。そこが桜田組のシマのど真ん中にあるのがどうにも気に入らなかった鳴海は、万が一に備えて現場から数百メートルほど離れた位置に車で待機することにした。新井と堀田がブツを引き渡して現金を受け取ったら、まっすぐ鳴海の待つ場所まで戻り、そこから車で花山一家のシマに帰る算段だった。
新井と堀田は極度に緊張していた。その原因は、取引を成功させて自分たちの価値を認めて欲しい、そんな思いからくる必要以上の気負いだけではなかった。花山一家が桜田組と抗争を繰り広げていた当時、まだ若手だった二人にとって、人生で初めてヤクザの世界における命の値段の安さを実感させられた相手、それが桜田組だった。
それゆえに、なめられてはいけないと虚勢を張って取引に臨んだ二人だったが、吐き気をともなうほどの緊張は隠しようもなかった。
そんな新井と堀田の気持ちはいい意味で裏切られた。取引はいたってシンプルで、ものの数分もかからず無事に終えることができた。桜田組の連中も、過去のことは水に流し、あくまでビジネスと割り切っているのが二人にはありがたかった。
こっそりとトカレフを隠し持ってくるまでもなかった。頭をひねって銃の隠し場所を考えたのが馬鹿馬鹿しく思えた。安堵に包まれた新井は、倉庫を後にするや否や、堀田に軽口を叩いた。
「余裕だったな。これで兄貴の信頼も取り戻せるだろ」
「まあね・・・でも、ここはあっちのシマのど真ん中だろ。兄貴と合流するまでは気を抜けないよ」
四千五百万円分の現金が入ったバッグを抱えた堀田は、まだビクビクしていた。