そして気がつけば、最小限の私物を詰め込んだバッグを片手に、セスナ機に乗って沖縄を後にしていた。有り金をはたいて手配した、訳アリの顧客を専門とする自家用セスナだ。バッグには盗み出したヘロイン五百グラムの包みが入っている。
九州に降り立ったら、そこからは電車で移動しよう。行き先は東京にしよう。日本の首都。世界的な大都市。ヘロインを買ってくれる相手だって必ず見つかるはずだ。
仮に普段のケンならば、これほど無茶で確実性のない博打に打って出ることはなかっただろう。根拠のない希望を抱き、異常な行動力を発揮して迅速に動けたのも、ボブの自殺からくるショック状態の成せるわざだった。

一体どのくらいの時間、こうしているのだろうか。暗い部屋の中、ケンが流麗な動作で繰り出すナイフは、稲妻のようなスピードで完璧な軌道を描いていた。
だが、ケンの脳裏に最後に見たボブ・ワナメイカーの姿、膝に抱きかかえた小犬の手を持って、さよならと振って見せた車椅子のボブの姿がくっきりと蘇った途端に、ナイフの軌道が乱れた。それまでのスムースな動きがバタバタしだした。
ケンはナイフのシャドーを止めると、肩で大きく息をしながらその場に座り込んだ。時計の針は真夜中の二時を指していた。