そんな中、九十年代後半には第1空挺団から幹部要員数名が、イギリスの陸軍特殊空挺部隊(SAS)とアメリカの陸軍第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊(通称デルタフォース)に派遣された。
幹部要員は、近接戦闘や市街地戦、人質救出作戦、要人警護、格闘術などの戦闘技術を、世界最高峰の戦闘部隊から直々に学んで帰国した。
その経験を基礎に、二十一世紀初頭に研究小隊を発足。戦闘要員二百名、支援要員百名からなる対テロ、対工作員作戦のエキスパート集団、特殊戦群が正式に発足するのは2004年の春である。
あいにく、妹尾が第1空挺団にいた七十年代末頃は、少なくとも日本において特殊部隊の存在は理解されていなかった。そんな時代に日本の最精鋭第1空挺団にあっても満足できない妹尾がとった行動は、非番の日に語学学校に通いフランス語を習得することだった。
なぜなら、これから目指す先ではフランス語が必須となる。学生時代から英語は得意で、日常会話なら今も一切問題ないレベルにある妹尾だが、フランス語はさすがに手強かった。それでも心中に芽生えた新たな目標に向かって、全力で努力する一貫した姿勢により、妹尾のフランス語は長足の進歩を遂げた。
この時もまた、妹尾は誰に相談することもなく、大切な決定を自分の判断だけで下していた。これまでの人生で血肉としてきた自分の全てを実地で試してみたい。自分の技術は通用するのか。自分は本物なのか。それを確認するには実際の戦闘に参加する必要がある。そんな修羅場で自分自身を見極めたい。
当時、日本人がそれを望むならば目指す場所はただ一つ。フランス外人部隊だった。
妹尾は世界中から歴戦の兵が集うフランス外人部隊の中でも、真っ先に戦闘に投入される精鋭部隊、第2外人落下傘連隊への入隊を誓い、やがて自衛隊を辞めた。

テレビのスイッチを切ると、妹尾は机の上に並ぶ五発の弾丸を弾倉に込めた。
P7M8は装弾数八発だが、ターゲットが一人ならば基本的に一発で事足りる。二発あれば十分だ。仮に三発目を撃ったならば、仕事のどこかでミスを犯したに違いない。そして四発目を撃ったとしたら、それはかなりまずい状態にあることを意味し、もし五発目が必要ならば、ほぼ確実に任務に失敗しているはずである。
妹尾の部屋のインタフォンが鳴った。私立探偵の岡野が来たのだ。
中に招き入れられた岡野はすぐに、部屋内にかすかに残る火薬の匂いに気がついたが、それを気にするでもなく、いつもと変わらない軽い調子であいさつした。
「毎度」
「うん、ご苦労さん。いきなり呼び出してすまんね」
「いやいや、仕事回して頂けるだけでもね、ありがたいっすわ」
「早めに動きたくてさ」
「物騒な相手?」
「うん、ヤバいかも」
「うそぉ」
「だってね、ヤクザの用心棒で元海兵隊」
「えっと・・・帰りますわ」
ふざけて回れ右をしようとする岡野。軽口を叩く時ほどやる気があるのを妹尾は知っている。
ケン・オルブライトの写真を岡野に渡しながら、知り得た限りの情報を伝えた。
「天ヶ浜ねぇ・・・聞かない町っすけど。まぁ、外人がそんな場所にいるんだとしたら、すぐに見つけ出せますよ」
「どの位かかりそう?」
「早いほど報酬が上がると言うのであれば、明日にでも・・・というのは冗談だけど、遅くとも五日もあれば」