だが実際、米軍兵による日本人強姦事件は起きているし、航空機の発着による騒音問題や民間の敷地への不時着、墜落事故、実弾演習の危険性など問題が山積なのも事実である。さらに3500憶円もの日本国民の血税が沖縄の米軍基地のために使われている。
基地を巡る問題は単純ではない。こうしたことは政治家に任せておけば良い。いや、良いかどうかはともかく、俺たち一兵卒があれこれ考えたところで何かが変わるわけではない。こうした問題を改善するために政治家がいるのだ。
一方で俺たちは戦うために存在する。だから日々、訓練に明け暮れ己の技量を高めることに集中すればいい。ケンは自分自身にそう言い聞かせることによって、周囲の雑音に惑わされることも、進路がぶれることもなく、ひたすら兵士として高みを目指すことに専念できた。

ケンの目の前にそびえる巨大な山、フォース・リーコン選抜訓練課程。
必ずパスしてみせると心に誓ったケンは、数ヵ月に及ぶ課程に臨む直前、第一武装偵察中隊の隊員としてカリフォルニアのキャンプ・ペンドルトンに駐留する兄リックに国際電話をかけた。やっとつかまえた兄に、選抜訓練課程に挑戦するにあたってのアドバイスを乞うた。
沈思黙考の末、リックが弟に伝えた極意は次の通りだった。
「二つある。一つ目は、けっして無理だと思わないこと。人間ってのは不思議なもんで、無理だと考え始めると、本来できることもできなくなる」
「なるほど」
「もちろん選抜課程の体力訓練は、地獄って言葉さえ生ぬるく感じるくらいきついぞ。だが俺の見立てでは、お前の体力は基準をクリアしていると思う。忘れちゃいけないのは、その体力をフルに発揮できるかどうかは、お前の精神力にかかってるってことだ」
黙って聞くケンに、リックは続けた。
「そして二つ目だが、これはさらに具体的な、コツみたいなものなんだがな。先のことは一切考えるなよ。一分先のことさえな。とにかく目の前のことだけに集中するんだ。そしてそれを一つ一つクリアして行く。その結果として、お前はフォース・リーコンの隊員に成るだろう」
リックは付け加えた。
「無事にパスして一員になったら、一度休暇を取ってこっちに顔を出せ。祝ってやるから。大丈夫。お前なら絶対にパスできるさ。俺の弟なんだからな」
やはり兄貴は違うな、さすがマイティだ。ケンにとってリックのアドバイスは何より心強かった。そして屈強な海兵隊員が次々と音を上げ、挑戦したことさえ後悔しながら脱落してゆく壮絶極まりない訓練を乗り越え、晴れて沖縄のキャンプ・バトラーを拠点とするフォース・リーコン、第五武装偵察中隊の一員となった。その時ケンは二十二歳。海兵隊に入隊して四年の歳月が過ぎていた。これはケン・オルブライトの人生におけるハイライトと言って間違いなかった。
約束通りカリフォルニアで兄と再会し、少々荒っぽいが気のいい兄のチームメイト達に囲まれて祝ってもらった。連中とは初対面にも関わらず、握手ではなくお互いの拳を軽くぶつけ合ってあいさつを交わした。フォース・リーコンの一員になったケンに対する敬意の表れである。
その時に飲んだビールの味は、かつて飲んだどれよりも美味かった。そして今後飲むどのビールも、この味を超えることはないだろう。
その後も選抜課程同様に過酷な訓練と、決して失敗の許されない実戦の日々が待っていた。疲労と苦痛、そして充実感。この繰り返しの毎日が、ケンに生きていることを実感させた。ケンは兵士として、ひたすら己の身心を磨き上げた。