部屋に戻ったケンは、シャワーを浴びることにした。
遠慮という概念がもともと希薄なアメリカ人ではあるが、さすがに初めはシャワーやトイレ等、井口母娘との共有スペースを使うのはちょっと気が引けた。ここに世話になって二週間が経ち、ようやく気兼ねなく使えるようになってきた。
食事は、悦子が気を利かせてケンの部屋に運んでくれていたが、それでは手を煩わせてしまうと思い、しばらくすると三人で一緒に食べるようになった。幼い頃より家庭というものを知らず、軍の仲間が家族のような存在だったケンにとって、三人で食卓を囲むのはどことなく気恥ずかしかった。
だが自分が遠く故郷を離れ、ここ日本で家庭を持ったような錯覚を味わえる食事風景は嫌いではなかった。想像したことさえなかったが、こんな人生も悪くない。天ヶ浜での平穏な日々の中に安らぎを見出し、そこに安住したい欲望を感じる。
ケンは、そんな自分に気づくと、即座に甘えを打ち消すように自身に言い聞かせた。
俺は一体何を考えているんだ。決して彼女らと普通の生活を送れる類の人間ではないのに。早く金を準備して、あの場所に戻らねば・・・。
今日のケンは、思いがけず二人組と対決したあの夜を思い出したため、ここ数日忘れていた不安を感じていた。シャワーでさっぱり汗を流し、気分を変える必要がある。
井口家の浴室は、ステンレス製のバスタブとシャワーのある洗い場という日本の典型的なスタイルで、ケンにはちょっと狭かった。
熱い湯を張った湯船につかる習慣がないケンは、いつも井口母娘が入浴する前にシャワーだけ浴びさせてもらっている。悦子は「シャワーだけで疲れ取れる?お風呂気持ちいわよ」と、入浴を勧めてくれたがシャワーで充分だった。
かつて一度、海兵隊仲間と日本の温泉に入った経験からすると、入浴はむしろケンを疲労させた。あんなに熱い湯に体を沈めていては、とてもじゃないが寛げる気がしない。温泉好きな日本人の感覚は未だに謎だ。
だが、コックを捻りシャワーノズルから勢いよく噴き出す湯を顔面に受けながらケンは思った。亡霊のようにしつこく過去が付きまとう今日という日に限っては、敢えて熱い湯船に浸かることで、自分をぐったり疲れ果てさせるべきだったかも知れない。過去を思い出す余裕もない程にぐったりと。
熱いシャワーに打たれながら、ケンは兄リックのことを思い出していた。
四歳年上のリックは、ケンにとって常にスーパーヒーローだった。そんな兄が亡くなって二年程が経つ。
兄だけでなく兄弟同然の絆で結ばれた仲間たちが、ケンの人生から突如退場して以来、この二年間の日々はとてつもなく長く感じられた。そしてその長い日々の延長線上に、俺は今もいる。
リックとケンはアメリカ中西部の北、カナダに接するミネソタ州の田舎町で生まれた。
父親はろくに働きもせず、昼間から酒を飲んでは暴れるろくでなしで、ケンがまだ母親のお腹の中にいる時に家を出ていったきり、帰って来ることはなかった。
若い母は女手一つで、何とか二人の息子が一人前になるまで育て上げようと、苦しい家計をやりくりしながら貧しい生活に耐えたが、それも数年で限界を迎えた。
ある秋の日に、母は幼いリックとケンを町につれ出すと、有名ステーキハウスで豪華なランチを振舞った。こんなに美味しい食事は初めてだった。
幼い兄弟の嬉しい驚きはまだ続いた。ランチを食べ終えると母は、バスに乗って二人を遊園地に連れて行った。生まれて初めて乗るメリーゴーランドや観覧車を楽しみながら、リックもケンも夢見心地だった。
遠慮という概念がもともと希薄なアメリカ人ではあるが、さすがに初めはシャワーやトイレ等、井口母娘との共有スペースを使うのはちょっと気が引けた。ここに世話になって二週間が経ち、ようやく気兼ねなく使えるようになってきた。
食事は、悦子が気を利かせてケンの部屋に運んでくれていたが、それでは手を煩わせてしまうと思い、しばらくすると三人で一緒に食べるようになった。幼い頃より家庭というものを知らず、軍の仲間が家族のような存在だったケンにとって、三人で食卓を囲むのはどことなく気恥ずかしかった。
だが自分が遠く故郷を離れ、ここ日本で家庭を持ったような錯覚を味わえる食事風景は嫌いではなかった。想像したことさえなかったが、こんな人生も悪くない。天ヶ浜での平穏な日々の中に安らぎを見出し、そこに安住したい欲望を感じる。
ケンは、そんな自分に気づくと、即座に甘えを打ち消すように自身に言い聞かせた。
俺は一体何を考えているんだ。決して彼女らと普通の生活を送れる類の人間ではないのに。早く金を準備して、あの場所に戻らねば・・・。
今日のケンは、思いがけず二人組と対決したあの夜を思い出したため、ここ数日忘れていた不安を感じていた。シャワーでさっぱり汗を流し、気分を変える必要がある。
井口家の浴室は、ステンレス製のバスタブとシャワーのある洗い場という日本の典型的なスタイルで、ケンにはちょっと狭かった。
熱い湯を張った湯船につかる習慣がないケンは、いつも井口母娘が入浴する前にシャワーだけ浴びさせてもらっている。悦子は「シャワーだけで疲れ取れる?お風呂気持ちいわよ」と、入浴を勧めてくれたがシャワーで充分だった。
かつて一度、海兵隊仲間と日本の温泉に入った経験からすると、入浴はむしろケンを疲労させた。あんなに熱い湯に体を沈めていては、とてもじゃないが寛げる気がしない。温泉好きな日本人の感覚は未だに謎だ。
だが、コックを捻りシャワーノズルから勢いよく噴き出す湯を顔面に受けながらケンは思った。亡霊のようにしつこく過去が付きまとう今日という日に限っては、敢えて熱い湯船に浸かることで、自分をぐったり疲れ果てさせるべきだったかも知れない。過去を思い出す余裕もない程にぐったりと。
熱いシャワーに打たれながら、ケンは兄リックのことを思い出していた。
四歳年上のリックは、ケンにとって常にスーパーヒーローだった。そんな兄が亡くなって二年程が経つ。
兄だけでなく兄弟同然の絆で結ばれた仲間たちが、ケンの人生から突如退場して以来、この二年間の日々はとてつもなく長く感じられた。そしてその長い日々の延長線上に、俺は今もいる。
リックとケンはアメリカ中西部の北、カナダに接するミネソタ州の田舎町で生まれた。
父親はろくに働きもせず、昼間から酒を飲んでは暴れるろくでなしで、ケンがまだ母親のお腹の中にいる時に家を出ていったきり、帰って来ることはなかった。
若い母は女手一つで、何とか二人の息子が一人前になるまで育て上げようと、苦しい家計をやりくりしながら貧しい生活に耐えたが、それも数年で限界を迎えた。
ある秋の日に、母は幼いリックとケンを町につれ出すと、有名ステーキハウスで豪華なランチを振舞った。こんなに美味しい食事は初めてだった。
幼い兄弟の嬉しい驚きはまだ続いた。ランチを食べ終えると母は、バスに乗って二人を遊園地に連れて行った。生まれて初めて乗るメリーゴーランドや観覧車を楽しみながら、リックもケンも夢見心地だった。