自分に言い聞かせる言葉とは裏腹に、緊張がピークを迎えた金本は、鉛を飲み込んだような不快感を感じていた。

海岸に立ち尽くし、焼け落ちる天使たちに心奪われる男。
先程から聞こえている雷鳴が、いよいよ耐えがたいほどの轟音となってきた。
次の瞬間、男は目を覚ました。
目の前には真っ青な大海原が広がり、そこを悠然と泳いで行くクジラの黒い影が見えた。
浜に打ち上げられていたザトウクジラが息を吹き返したのか・・・バカな。
一度目をつむって再び開くと、十月とはいえ、まだまだ夏の気配を残す沖縄の青空が広がっていた。クジラに見えたその影はC‐130ハーキュリーズ。男もよく知る米軍の輸送機だった。
次にいつ眠れるかは分からない。だから、少しでも時間があればどんな環境にあろうとすぐに眠れる。それは戦場の兵士にとっては重要なスキルである。
それにしても、こんな場所で眠りこけて夢まで見てしまうとは。
やはり潮時なのだろうか。
そんな考えが近頃、頻繁に頭を過る。できることなら、今回の仕事を最後にしよう。見知らぬ土地で、警備員か何かの仕事に就いて堅気の生活を送るのだ。
そんな日は、多分来ないと分かっていながら、近ごろ別の人生に想いを馳せることが多くなった。決して良い兆候とは言えない。特に自分のような仕事をしている人間にとっては。
そんな風に、あてどない考えが脳裏をかすめながらも、男は目をつむったままでいた。体は微動だにしない。傍から見れば、ベンチに腰かけたまま、相変わらず居眠りしているように見えただろう。
だが、男は気づいていた。
斜め前方三十メートル程の距離に駐車している黒いセダンの中から、新聞を手にした男がこちらを見ている。依頼主がよこした使いだとすぐに分かった。
自分のやっている類の仕事では、依頼人との信頼関係が重要だ。信頼なくしては満足に仕事をやり遂げることが難しくなるばかりか、場合によっては自分の生活や、命までをも危険に晒す羽目になる。
だから、こちらから車に近づいて行って相手を不安にさせたり、警戒心を抱かせるようなまねはやめよう。約束の時間まではまだしばらくある。相手がこちらに来るのを待てばいい。

ふと気がついて腕時計を見れば、約束の二時は過ぎていた。だが妹尾の姿はどこにもない。
いぶかしみながら、蒸し風呂状態の車を降りた金本を、心地よい外の空気が包み込む。
金本は、辺りに注意を払いつつ、ベンチの一つに腰掛けて目印となる新聞を開いた。場所も時間も間違ってない。何か行き違いがあったのか。それとも事情があって遅れているのか。それにしたって、そんないい加減な人間に殺し屋が務まるのだろうか、などと考えていると、隣のベンチで居眠りしていた男が急に声をかけてきた。
「唐島興行の方ですね?」
驚いた金本は、慌てて振り返ったが言葉が出なかった。
口元に柔らかい笑みを浮かべて軽く会釈しながら、男は続けた。
「妹尾といいます。よろしくお願いしますね」
さっきからずっと居眠りしていたこの男だったのか。
「ああ、どうも。こちらこそ・・・。えっと・・・そこに車停めてあるんで。行きましょうか」
ようやく事態を把握した金本の声は、少し上ずっていた
妹尾をバックシートに座らせて、金本は車を発進させた。
「仕事は忙しいですか?」
殺し屋相手には間抜けな質問だったなと失笑しつつも、金本は社交辞令的な会話を適当に続けた。