「ありがとう!分かった、何でもやりまーす!がんばるよ」
「ダメ」
「え?」
舞子は急に不安になった。ことみはわたしのことをからかっているのだろうか。そんな、人を傷つけるようなまねは絶対にしないはずだけど。
「即答しないで欲しいの。今回の独立はあたしにとっても先輩にとっても、本気で人生を賭けた勝負なんだ。会社辞める時に、上司や仲の良かった同期の連中からもさんざっぱら嫌み言われたしね。だから、そんな連中を見返すためにも、とことん本気で頑張ろうって思ってる」
「・・・うん」
「きつい言い方になったらごめんね、舞子。でもね、やるからには舞子にも人生を賭けるつもりできて欲しいんだ」
「・・・」
「舞子のためにもね。半端な気持ちで来てもらっても、辞めちゃったらさ、あんたのことだからきっと自分を責めるでしょ。そうなって欲しくないから、だからじっくりと考えて欲しいんだ」
ことみの言葉を聞いて、喉の奥が痛くなってきた。気がつくと涙が流れていた。親友にそこまで気を使わせてしまう自分の不甲斐なさと、そんな自分をそこまえ思ってくれる親友がいる嬉しさの混じり合う気持ちだった。
泣いているのを悟られまいと、舞子は一度受話器を口元から離すと、大きく深呼吸をして気分を落ち着けてから言った。
「うん、分かったよ、ことみ」
「一ヵ月後に、また電話するからね。それまでにしっかり考えてね。もしやり残したようなことがあったら、この一ヵ月でしっかり片付けてね。だって会社始まったら、忙しいぞぉ。あんた、こっちに来たら男作ろうなんて考えない方がいいわよ、そんな暇ないからね」
そう言ってから、ことみは笑い出した。舞子もつられて笑った。
「じゃぁ、姫。一か月後にまた電話するね」
「了解です」
「・・・舞子」
「ん?・・・なに」
「好きだよ・・・。あんたはあたしが守るから、一緒に頑張ろ」
「・・・ありがとうね。わたしもことみのこと好きだよ」

ことみからの電話を終えた舞子は、部屋に戻ってベッドに寝転がりながら考えてみた。
考えは揺るがなかった。やっぱりことみと一緒に頑張りたい。大学を出てからずっと燻っている自分に、親友が与えてくれたこのチャンスを活かしたい。きっと甘くは無いだろうけど、必死で頑張ってみたい。
自分の気持ちの確認が終わると、そこからは様々な考えが目まぐるしく駆け巡り頭がパンクしそうだった。興奮で鼓動が早くなっているのが分かったので、努めて冷静に、先ずは落ち着こうと自分に言い聞かせた。
次にことみから電話がくるまでの一ヵ月の内に、天ヶ浜での一年間で知らぬ間に馴染んでしまった今の生活リズムを変えて行く必要もあるだろう。
後は、やり残したことか。
色々と考えた結果、女子美で卒業制作『希望のゲルニカ』の制作に打ち込んでいる頃から、何となく感じていることに思い当たった。
マドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されているピカソの『ゲルニカ』を、実際にこの眼で見たい。
画集でしか知らない『ゲルニカ』をモチーフに、ステンドグラス作品を制作することは、二十二歳の舞子が全霊をかけて挑戦した創作だった。そして自他ともに認める作品へと昇華した。
でも心のどこかで、本物の『ゲルニカ』を見たこともないわたしが作った『希望のゲルニカ』、これは果たして本物って言える?と感じていた。ピカソの絶対的芸術作品『ゲルニカ』の持つ怒り、そして絶望。それを体感せずして何が希望か・・・。