翌早朝。底冷えのする寒さの中、妹尾は海沿いの国道を歩いていた。
日の出直前のこの時間、辺りは微かに明るくなり始めていたが、北の地域らしい曇天のため、暗く重苦しい灰色の世界が広がっている。
昨日、造船所にケンを訪ねた後で、妹尾は町に出て防寒具一式を調達した。急激な冷え込みに加え、万一雨にでも降られたら堪らないので、ゴアテックス製の寝袋を探したが、デパート内のキャンプ用品店に本格的な品は見当たらなかったので、仕方なくナイロン製のものを購入して帰ってきた。
日暮れと共に、天ノ神社の裏手の木々の生い茂る奥に分け入り、人目につかないようにカモフラージュを施して野宿で一夜を明かした。
断熱シートに包まりながら自衛官時代のレンジャー訓練を思い出した。あの頃は、不眠の状態で何度歩哨に立ったことか。それに比べれば、寒さこそ厄介だが、疲れも空腹もなく睡眠をとれるのだから、これでも随分と贅沢だ。
実際ほとんど眠れなかった妹尾だが、四時過ぎには行動に移った。こんな場所をいちいち気にする者もいないだろうが、念には念を入れて自分の痕跡を消した。
同じ態勢で十時間近くも横になっていたため、膝や腰には相当な負担がかかっていたようだ。まだ夜明け前の暗闇の中、ただ神社の石段を下りて行くだけの何でもないことが、結構堪えた。もう昔のように若くはないのだと現実を突きつけられる思いだった。
気温は多分氷点下だろうが、完全な無風状態のため、妹尾はそれほど寒さを感じなかった。
国道には人間はおろか走る車の姿もなく、海からかすかに聞こえてくる波の音と、自分が立てる音以外は何もない。妹尾は、一夜にして地上から人類が消滅してしまったかのような、不思議な錯覚に襲われた。色彩を失ったダークなモノトーンの景色が、そんな感覚をより一層際立たせる。
今や警察に追われる身であり、極力人目を避けたい妹尾にとっては、この無人の世界は好都合だったが、それでも言い難い不安を感じた。だから、ようやく一台のトラックが背後から迫り、砂利を飛ばしながら妹尾を追い越して行った時には、なぜかほっとした。
果たして、ケン・オルブライトは約束通りに現れるだろうか。もし現れなかったとしたら・・・右手に持つ現金の入ったバッグにチラと視線を移して、一瞬金の使い道に思いを巡らせた。
むしろ逃亡費用として自分が使うべきではないか。昨夜、寝袋に包まれながら、何度も頭に浮かんでは打ち消した考えが、またしても脳裏を過った。
いや、いかん。ダメだ。名も知らぬ、二度と会うこともない件の少女。彼女の哀しい目がそれを許さない。
あれこれ考えても仕方ない。あと少しすれば自ずと答えは出る。
妹尾は腕時計に目をやった。五時二十五分。約束の六時まで三十分以上ある。あと十分もあれば待ち合わせ場所に着くだろう。先に着いて相手を待つのはいつものことだ。
国道は一旦海岸線を離れて、海から百メートルほど内陸を走っていた。
ここにも人影は無く、道路の両側に点在する家屋は、まるで廃墟のような佇まいだった。
やがてそうした建物さえなくなり、道路は再び海の方角に向って伸びていた。
しばらく歩き続けると、道は緩やかなカーブを描く上り坂になった。妹尾の位置からその先は見えないが、カーブを曲がれば自衛隊の演習場があるのは分かっていた。
妹尾は歩き続けた。
雪が降り始めた。
音もなく静かに、ゆっくりと舞い降りる雪は、地面に着くと同時に溶けて消えてゆく。
日の出直前のこの時間、辺りは微かに明るくなり始めていたが、北の地域らしい曇天のため、暗く重苦しい灰色の世界が広がっている。
昨日、造船所にケンを訪ねた後で、妹尾は町に出て防寒具一式を調達した。急激な冷え込みに加え、万一雨にでも降られたら堪らないので、ゴアテックス製の寝袋を探したが、デパート内のキャンプ用品店に本格的な品は見当たらなかったので、仕方なくナイロン製のものを購入して帰ってきた。
日暮れと共に、天ノ神社の裏手の木々の生い茂る奥に分け入り、人目につかないようにカモフラージュを施して野宿で一夜を明かした。
断熱シートに包まりながら自衛官時代のレンジャー訓練を思い出した。あの頃は、不眠の状態で何度歩哨に立ったことか。それに比べれば、寒さこそ厄介だが、疲れも空腹もなく睡眠をとれるのだから、これでも随分と贅沢だ。
実際ほとんど眠れなかった妹尾だが、四時過ぎには行動に移った。こんな場所をいちいち気にする者もいないだろうが、念には念を入れて自分の痕跡を消した。
同じ態勢で十時間近くも横になっていたため、膝や腰には相当な負担がかかっていたようだ。まだ夜明け前の暗闇の中、ただ神社の石段を下りて行くだけの何でもないことが、結構堪えた。もう昔のように若くはないのだと現実を突きつけられる思いだった。
気温は多分氷点下だろうが、完全な無風状態のため、妹尾はそれほど寒さを感じなかった。
国道には人間はおろか走る車の姿もなく、海からかすかに聞こえてくる波の音と、自分が立てる音以外は何もない。妹尾は、一夜にして地上から人類が消滅してしまったかのような、不思議な錯覚に襲われた。色彩を失ったダークなモノトーンの景色が、そんな感覚をより一層際立たせる。
今や警察に追われる身であり、極力人目を避けたい妹尾にとっては、この無人の世界は好都合だったが、それでも言い難い不安を感じた。だから、ようやく一台のトラックが背後から迫り、砂利を飛ばしながら妹尾を追い越して行った時には、なぜかほっとした。
果たして、ケン・オルブライトは約束通りに現れるだろうか。もし現れなかったとしたら・・・右手に持つ現金の入ったバッグにチラと視線を移して、一瞬金の使い道に思いを巡らせた。
むしろ逃亡費用として自分が使うべきではないか。昨夜、寝袋に包まれながら、何度も頭に浮かんでは打ち消した考えが、またしても脳裏を過った。
いや、いかん。ダメだ。名も知らぬ、二度と会うこともない件の少女。彼女の哀しい目がそれを許さない。
あれこれ考えても仕方ない。あと少しすれば自ずと答えは出る。
妹尾は腕時計に目をやった。五時二十五分。約束の六時まで三十分以上ある。あと十分もあれば待ち合わせ場所に着くだろう。先に着いて相手を待つのはいつものことだ。
国道は一旦海岸線を離れて、海から百メートルほど内陸を走っていた。
ここにも人影は無く、道路の両側に点在する家屋は、まるで廃墟のような佇まいだった。
やがてそうした建物さえなくなり、道路は再び海の方角に向って伸びていた。
しばらく歩き続けると、道は緩やかなカーブを描く上り坂になった。妹尾の位置からその先は見えないが、カーブを曲がれば自衛隊の演習場があるのは分かっていた。
妹尾は歩き続けた。
雪が降り始めた。
音もなく静かに、ゆっくりと舞い降りる雪は、地面に着くと同時に溶けて消えてゆく。