実際、何の予告もなく職場に現れた妹尾を見た時、ケンは驚きを隠せなかった。
一体、何をしに来たのだろう。カメラバッグを担いでいるところをみると、さては東京に帰る前にわざわざ挨拶でもしに来たのだろうか。
だが、妹尾の挙動からは何となく不信感が漂う気がする。考え過ぎだろうか。昨夜の鬼ごっこで妹尾から感じた何かが、俺に警戒心を抱かせる。
そんなことを考えている内に、妹尾がこちらに来てテーブルの反対側に座った。
「ケンさん、お疲れさま。突然、訪ねてきたりしてすまないね」
妹尾は英語で、何事もないかのように普通の調子で話し出した。
「ああ、その・・・驚いたよ。妹尾さん、一体どうした?俺に何か用でも?」
不安を隠せないケンは、ついついきつい口調で返してしまった。
「実はそうなんだ。時間もないから単刀直入に用件だけ言うからよく聞いてくれ」
「・・・分かった」
「ここの海沿いの道を四㎞ほど行くと、自衛隊の軍事演習場があるんだが、ケンさん知ってるか?」
思いがけない質問に、ケンは意表を突かれた。
「・・・軍事演習場ねぇ、ああ知ってるとも。俺が現役の頃に訓練で行ったことがあるよ」
「それなら話が早い。明日の朝、六時にそこの演習場に来てくれ」
「一体、何を」
妹尾は、ケンに質問の隙を与えないように続けた。
「道路沿い五百メートルに渡って金網のフェンスが続いているが、その中ほどで待っててくれ。俺の方から探すから」
「そんなに早い時間にか?」
「ああ、あんたに話がある。それと渡したいものも」
「話なら、夜にでもゆっくり・・・」
「誰もいないところで、ケンさんだけに話したいんだ。悪い話じゃない」
この妹尾という謎めいた男の正体は分からない。だが、少なくともフリーカメラマンなんかじゃないのは間違いない。ケンはそう確信した。
「OK、分かった。六時だな」
「ああ、六時だ」
妹尾は立ち上がった。
「貴重な昼休みを邪魔して悪かったな。じゃぁ明日、待ってるからな。きっと来てくれよ」
そう言い残して、去っていく妹尾の後ろ姿を見ながら、ケンの頭の中はフル回転していた。動物的な勘と、論理的な道筋から辿り着いた一番の可能性。
奴こそが、俺を殺しにきたヒットマンだ。
井口母娘との、平和でささやかな幸福のある家族ごっこはここで終わりだ。いや、妹尾が現れなくとも、終わりは近づいていたのだ。ただ、その時期が少し早まっただけのことだ。昨夜、俺のもとを訪ねてきた兄貴やボブ、死んだ仲間たちは、きっとそのことを伝えに来たのではないか。そんな気さえする。
俺を殺しにやって来た男が、俺を人気のない場所に呼び出している。
そんな危険な誘いに乗る理由はどこにもない。逃げるだけだ。
だが一方で、危険を冒してでも、妹尾との約束を守ってみたいと考える自分がいることに、ケンは気づいていた。
だが、なぜ。
ケンは自問した。
しばらくして答えが出た。理由は二つ。
第一に、妹尾がプロの殺し屋だとして、その気ならば俺を殺るチャンスはいくらでもあったはずだ。だが、そうはならなかった。一体、奴の狙いは何だろう。明日の朝六時に、俺が約束の場所にいけば自ずと答えは出る。
第二に、俺は昨夜、あの男に負けた。鬼ごっこという他愛もない子供の遊びの皮を被った真剣勝負に完敗した。このままでは終われない。借りを返すチャンスが欲しい。