「では、後は二人でごゆっくり。自分はホテルに引き上げるとするよ」
「え、花火見ないで帰っちゃうんですか?」
「ええ、祭りの写真も撮れたしね。帰って熱いシャワーでも浴びて寝るとしますよ」
「そうですかぁ、お疲れさまでした。じゃあ気をつけて」
舞子はケンと二人になれる期待に心が弾んだが、それでも先ほど目撃した光景がその喜びに影を落としていた。なぜだろう?プールサイドの暗闇に立つ二人を見るまでの今日は、人生で最高の一日と断言できるほどに素敵で楽しかったのに。
「もう、ここには来ない?帰るか?」
ケンが割り込むように慌てて言った。
「ん?・・・というと?」
日本語では妹尾に聞きたいことを上手く伝えられず、ケンはもどかしさを感じた。だが舞子の前ではなんとなく妹尾と英語で話すべきではないと感じていた。
「妹尾さん、ここからいなくなるね。もう会うことがないかね」
「そうそう、もう帰っちゃうんですか?天ヶ浜のお祭りは今日で終わりですけど」
「えーっと、そうですねぇ・・・」
そう言いながら、妹尾は自身の今後の行動を早急に決定しなければならないという現実に気がついた。
「まぁ、スケジュール的には、ある程度余裕あるんで。可能だったら帰る前にもう一度顔出しますよ、お店の方に」
「良かったぁ。絶対来てくださいよ、母もきっと待ってますんで」
「了解!」
妹尾は、いつか舞子がやったようにお道化て敬礼してみせた。
「それじゃケンさん、またな」
ケンが答える前に妹尾は歩き出していた。
その後ろ姿を見送りながらケンは考えた。あの男は、きっとまた俺の前に現れるに違いない。だがヤクザのヒットマンであるならば、なぜ俺を殺さなかった?チャンスはいくらでもあったはずだ。それでもケンは、妹尾に対して感じ始めた不穏な感覚を無視できなかった。

花火大会の終了とともに、天ヶ浜奉納祭は幕を閉じた。
祭りの余韻に浸りつつ、かすかな海風に吹かれながら夜道を帰途につく見物客たち。
その中にケンと舞子もいた。
舞子は、ケンにどこかよそよそしい雰囲気を感じて、何となく話しかけ辛かった。いつだったか、仕事帰りのケンがやはりこんな感じだったのを思い出した。
それでも舞子にとっての祭りはまだ終わっていなかった。むしろここからが本番と言えた。ケンに狼のステンドグラスを見てもらうという一大イベントである。まるで恋を告白するような胸の高鳴りを感じる舞子には、家までの道のりがあっという間だった。寒いのか暑いのか、そんなことを感じている余裕もなかった。
二十代も半ばになるのに、何を女学生の初恋みたいなことやってんだ、わたしは。
舞子は、我ながら情けなくなった。

家のすぐそばまで来ると、窓から微かな明かりが漏れているのが見えた。その明かりは、暗闇の中では弱々しくて心もとなかった。どうやら店の壁に掛かった舞子の卒業制作『希望のゲルニカ』のバックライトが点いているようだ。
店中に入ると、『希望のゲルニカ』が暗闇にぽっかり浮かんでいた。その美しさに舞子は、自分の作品ながら見惚れてしまった。
「awesome」
ケンも引き込まれるように見入りながら、思わずつぶやいた。
二人はしばらく無言で突っ立っていた。