とっさに振り向いたケンの目の前、わずか三メートルほどの距離に佇む人影があった。
明かりがないため、人物のシルエットしか見えなかった。
一切の気配を感じさせることなく、不意に現れた影に背後を取られた。その事実に衝撃を受けながらも、長年訓練されたケンの本能はその影を撃てと命じた。
ケンの右手に握られた銀玉鉄砲がシルエットに向けられようとした。その動きは稲妻のように早かった。
だが、影の動きはケン以上に素早かった。
ケン目がけて真っすぐに向けられたその手には、拳銃が握られているのが見える。
ケンは銃を抜きかけた態勢のまま、ショックで動けなかった。
身の危険を感じながらも、体が動こうとしなかった。
その時、ドンっという乾いた炸裂音と共に夜空に花火が上がった。
花火の明かりが一瞬、辺りを照らした。
影の正体は妹尾だった。
ケンがどこかに脱ぎ捨てた赤いヒーローのお面を被っている。
妹尾の右手にある拳銃は、ピタリとケンに向けられたまま微動だにしない。
二発目の花火が上がった。
再び辺りが明るくなった瞬間、妹尾は引き金を引いた。
ケンには、銃弾が自分に向かって飛んでくるのがはっきり見えた気がした。
おもちゃのワルサーから発射された銀玉は、ケンの左胸に当たってぽとりと地面に落ちた。
妹尾は、お面を取って素顔を晒すと、屈託のない笑顔を見せながら英語で言った。
「はい、終了。俺の勝ち」
結局その瞬間を迎えても、妹尾は使い込まれた仕事道具であるP7M8を抜くことができなかった。
同じ元兵士としての好奇心か、それとも辛うじて残された掃除屋としてのプライドかは分からない。だが、鬼ごっこという遊戯を通じて密かに行われたケンとの勝負に完勝したことで、妹尾の中の何かが満たされた。そして気持ちに一つの区切りをつけることができた。
今、俺はケン・オルブライトを仕留めたのだ。彼の心臓目がけて発射されたのがたまたま鉛の九ミリ弾ではなく玩具の銀玉だっただけだ。
「妹尾さん、その・・・いつの間に・・・」
「鬼ごっこはガキの頃から得意でね」
妹尾は、お面をケンに返しながら言った。
「そうか。まぁここは男らしく認めなくちゃな・・・負けたよ。俺の負けだ」
校舎越しの夜空に次々と上がる花火は美しかった。しだれ柳のように尾を引きながら落ちてくる光と辺りに漂う火薬の煙は、ケンに夜戦の照明弾を思い出させた。さっきまでほとんど真っ暗だったこのプールサイドも、今はほんのり明るく照らされている。
ケンは、ここ数日すっかり忘れていた例の暗い気分に囚われた。
舞子たちとの平穏な生活に馴染んだつもりでいたが、俺はヤクザのヘロインを持ち逃げし、命を狙われているのだ。
この町に辿り着いたあの夜、一度はヤクザの襲撃を退けた。それで全てにケリがついたと信じたかった。だが冷静に考えれば、ヤクザがあっさり引き下がるとは思えない。
妹尾との鬼ごっこに完敗した事実を前に、急にそんな不安が湧き起こってきた。
だが、なぜだろう。