辺りを夕闇が包み込むと、明かりの灯された提灯が、長い石段を光の階段へと変えた。
石段を登りきると赤さび色の鳥居があり、その先の境内には、天懇献呈の儀が執り行われる舞台が整っている。
特等席で見たい見物客が、早くも持参したござを広げて待っていた。本堂の手前には三段のひな壇が組まれており、その周りを囲むように提灯が吊るされている。ひな壇の上段には、お供え物が献上される木製の台が、中段の左右には太鼓が設置されている。ひな壇の四隅には薪の乗ったかがり火が用意されており、本番ではこれに火がともされるのだ。
本堂の横から大きくコの字を描くようにしてひな壇へと続く花道は、人が入れないようにロープで仕切られている。十二遣徒は、見物客の間を通るようにこの花道を歩いて、お供え物の魚を運ぶことになる。
明かりに照らされて暗闇に浮かび上がる天懇献呈の儀の舞台は、すでに幽玄ともいえる雰囲気を漂わせていた。
「すごいね」
舞子は思わず声を漏らした。
ケンは黙ったまま見惚れていた。石段を上って鳥居をくぐった瞬間、本当に異世界に足を踏み入れたような錯覚を覚えた。かつてないほどに厳粛な気持ちとなり、歩んできた過去も、これから進む未来も全てが頭の中から消え去っていた。今この瞬間があるだけだった。
妹尾も、この光景に思わず心を奪われていた。年に一回、名もない北の町に、こんなにも美しい空間が現出する事実に打ちのめされた。同時に、今、シャツの下に拳銃を隠し持っている自分がえらく場違いに思え、居心地の悪さを覚えた。
ケン・オルブライトを殺るチャンスは、まだ完全に失われたわけではない。プロとしてのプライドが辛うじて、妹尾自身にそう語りかけていた。だからこそ危険を冒してもP7M8を携行している。
だが昨夜感じた、自分にケンを撃つことはできないという予感は、今や確信へと変わっていた。
「さて、そろそろ集合時間だから行こっかな。妹尾さん、このお面、預かってもらっていいですか」
「うん、いいよ。はは、可愛いネズミの坊や。『トムとジェリー』だっけ」
「じゃなくて、トッポ・ジージョっていう・・・」
「ああ、いたよね。懐かしい。いい歳したオヤジが被ってたら怪しすぎるから、大事に持っとくよ」
「後で、わたしが花道通る時にそれ被って下さいよ。ケンさんと二人でお面つけてたら、わたし、遠くからでも二人のことが分かるもん」
「でも、舞子ちゃんが真剣にやってるのに、笑わせたら悪くないかね」
「大丈夫。わたし、小さい頃から睨めっこで負けたことないから」
「はは・・・それ、関係あるかね。どうするね、ケンさん」
「もちろん。やろうね、それ楽しいね」
今まで黙って聞いていたケンは、ちょっとしたおふざけに大いに乗り気だった。
「分った。じゃぁ舞子ちゃんがここを通る時に、いい歳こいたお面の二人組が見守ってるから。どうぞ安心して魚、お供えしてください」
「あは、やったー。じゃあさ、願い事教えて。わたしが代わりにお願いしてくるから」
「いや、いいよ。舞子ちゃんが自分の願いをちゃんと伝えてきなさい。なぁ、ケンさん」
「そう。それがいいね。舞、あなたの願い事を叶えるのがいいね」
「わたしの願い事ねぇ・・・」
そのまましばらく押し黙った三人だったが、各々の願いは、実はそれほどかけ離れたものでないことを、本人たちは知る由はなかった。