数年前―
今は亡き兄リック・オルブライトの後を追って海兵隊に入隊したケンは、愛国心を胸に抱き、希望に燃えながら苛烈な訓練に明け暮れていた。
ハードでタフだが充実した毎日だった。疑うことを知らず、純粋に強さを求めて自分の技量を上げることに専念する日々は、今思えばケンにとって最も幸せな時代だったかも知れない。
第三海兵師団歩兵連隊の隊員として沖縄の米軍基地に駐留していたある秋、ケンの所属する部隊は、陸上自衛隊との合同訓練を実施するため、天ヶ浜のさらに四㎞ほど北上した場所にある軍事演習場を訪れたことがあった。
ディーゼルエンジンの音を轟かせながら、海岸に沿った道路を、隊列を組んで走行する軍用トラック。
その荷台に乗る海兵隊員の中にケンの姿もあった。乗り心地は決して良くないが、もちろん軍隊で快適さを求める方が間違っている。天候に恵まれ海風もそれほど強くないため、ちょっとしたドライブ気分の隊員もいた。
トラックの隊列がその町にさしかかった時、ケンは一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなった。
その時、天ヶ浜は祭りの真っ最中だった。
町中の至る所に提灯が吊り下げられている。ケンには読めない日本の文字が書かれたノボリが、風にたなびいている。小さな山の上に向かって続く石段がある。
そこを駆け上がってゆく子供たちの後ろ姿が見えた。
石段の入り口には屋台が立ち並んでいる。カラフルなお面や子供のおもちゃが並ぶ軒先では、大小様々な風ぐるまが一斉に回転していた。
そんな、日本の祭りならではの光景がケンの心を奪った。単なる異国情緒では片づけられない何かを感じた。
実際には、ほんの二、三十秒もかからずに通り過ぎたはずである。だが町は、そんな事実はお構いなしに、ケンの目の前をまるでスローモーションのようにゆっくりと流れていった。カメラの絞りを解放にして撮影した映像のように、白くて眩しい印象だった。
一瞬にして永遠。
いきなり白日夢の中に放り込まれたかのような体験は、ケンの心を捉えて離さなかった。
あの幻想的な風景が、日本のフェスティバルであることは理解していた。それにしても一体あれは何だったのか。荷台の上で一瞬居眠りした時に見た夢だったのではないだろうか。あの町は、現実には存在しないのではなかろうか。ケンはそんなことさえ考えるようになった。
演習を終えて沖縄の駐屯地に戻ってからも、ケンの心には、あの光景が引っ掛かっていた。とうとう一週間の休暇を申請すると、まるで夢の中で訪れた幻の町を探すかのように、現地を訪ねることに決めた。
演習地のある場所から推測して、向かうべき町のおおよその見当はついた。そこに行くのに必要な鉄道の路線図や乗換駅の情報、現地の地図の拡大コピーなどは友人が用意してくれた。
出発の前日、金曜日の夜。
東京のホテルに一泊しながら、ケンの心は、まるで小さな冒険に出かける子供のように高鳴った。
明日は早朝のうちにチェックアウトする予定だ。早く寝た方が良いのは分かっているが町のことを考えると寝付けなかった。地図に載っているのだから、もちろんそこは実在するのだろう。
できれば幻であって欲しいと願う気持ちもどこかにあった。決して辿り着けない町であって欲しいと。なぜそんな風に考えるのかは、ケン自身にも分からなかった。