妹尾が振り返ると、ケンは脱いだばかりのびしょ濡れのシャツを雑巾のように絞っていた。雨に打たれる上半身は、元兵士らしく無駄な肉が一切ない。まるで野生の動物を思わせる佇まいだった。
「これで今日のシャワー、必要なしね」
ケンの言葉に、妹尾は軽く笑いながら頷いてみせた。
ケンの左腕に彫られたドクロと短剣のタトゥーが目に留まった。海兵隊時代の名残に違いない。妹尾は、あえて英語でケンに話しかけてみた。
「そのタトゥーは?」
いきなり妹尾の口から出た英語は、ワンフレーズとはいえ流暢だった。発音は日本語訛りだが、それでもケンを驚かせるには十分だった。
絞ったシャツを再び着こみながら、ケンも不自由な日本語をやめて英語で返した。
「英語しゃべれるなんて知らなかったよ」
「こう見えて、実はフランス語だって少しいけるんだ」
にこにこしながら妹尾は続けた。
「そのタトゥーは軍隊で?」
なぜ、そんなことを聞いてみたくなったのかは、妹尾自身分らなかった。これから殺そうとする人間のことを詳しく知ったところで良いことなど何もない。それでもなぜか今、ケン・オルブライトにターゲット以上の興味を持ち始めている自分がいる。
「そうなんだ。言ってなかったと思うけど、俺は昔、海兵隊にいてね。その時のチームのタトゥーさ。沖縄にもしばらく駐留してたから、そのおかげで日本語もちょっとだけね」
そう言いながら、ケンはタオルで濡れた顔をごしごし拭いた。
「ほぉ。ケンさん海兵隊にいたのか。で、今はなぜ天ヶ浜に?」
舞子が、除隊の理由はちょっと聞けない雰囲気とか言ってたな。
そう思い返しながらケンの方に向き直った妹尾は、しっかりとあぐらで座りなおしてから改めて尋ねた。
「差支えなければ聞いていいかな、海兵隊を辞めた理由」
顔を拭く手を止めたケンは、タオルに埋めていた顔をゆっくり上げると、しばらく無言で妹尾の顔を見据えた。
ケンの表情から、その考えを推し量ることは難しかった。険しい表情で妹尾を睨み返しているようにも思えるが、単に雨に濡れてそう見えるだけかもしれない。
やがてケンは、肩をすくめてみせると、何も言わずに釣れる見込みもない釣りを再開した。
釣り竿を握ったまま無言で佇むケンの背中を見ながら、妹尾はしばらく待ってみた。
・・・話す気はなしか。では、この辺で終わりにしよう。
妹尾は、傘を差したまま、空いた右手を懐にそっと差し入れると、拳銃のグリップを握り込んで安全装置を解除した。
P7M8をシャツの下から取り出し、銃口をケンの後頭部に向ける。
妹尾がみせた一連の動きは一切の無駄がなく、動作の気配さえ感じさせないほど滑らかだった。
微動だにしない銃口からケンまでの距離は1メートル強。
左後方の死角ギリギリの位置から狙うは左耳の付け根。
弾丸の入射角およそ四十度はこの条件ではベスト。
しくじることは先ずない。
トリガーにかけた妹尾の人差し指に力が入った。
その刹那、ケンがおもむろに口を開いた。
「仲間が死んだんだ。戦いの中で・・・兄弟同然の連中だったんだが」
ケンの視線は、釣り糸を垂れた海面に向けられていたが、その目には何も見えていなかった。
物音一つ立てずに拳銃をシャツの下に隠すと、妹尾は静かに次を待った。