雨は海面を打ち、波が沖に向かって「くの字」形に伸びる防波堤にぶつかっては白く砕けた。のんびり釣りなどできる状態ではなかった。
幸い風はなく、寒くないのが救いだった。むしろ、雲が昨日の暖気を閉じ込めているため、この時期にしては珍しく蒸し暑く感じるほどだった。
こんな状況の中、傘を差しながら防波堤の突端に向かって歩く妹尾とケン。
その姿は、傍目にはきっと奇異に映っただろうが、海岸に人の姿はなく、海上に船もない。異様な二人組を気にする者は誰もいなかった。
9ミリ弾の発射音は確実に波の音にかき消されるはずだ。
悪天候の中を釣りに出かけた二人が戻らなければ、やがて警察による捜索が始まるだろう。
そして、遅からずケンの遺体が発見されるだろう。
それでも、ケンは防波堤から転落して溺れ死に、死体が上がらず行方不明の妹尾も海に沈んでいる。
誰もがそんな風に考えるに違いない・・・しばらくは。
妹尾にとっては望み得る最高の状況だ。

妹尾の後について歩きながら、ケンは不思議で仕方なかった。
こんな雨にもかかわらず、妹尾はなぜ釣りにこだわるのか。
一昨日の飲みの席では、天ヶ浜の伝説に惹かれて、自分もちょっと釣りを楽しみにしていたのは確かだ。
しかし、悪天候に見舞われるとは予想外だった。
今となっては、わざわざ雨に打たれながら釣りなどやりたくない。
とは言え、釣り具まで用意されては仕方ない。
小一時間も釣り糸を垂れて、それで釣果がなければ切り上げよう。
妹尾だってきっと諦めるに違いない。

二人は、防波堤がくの字に折れたさらに先の突端までやってきた。
「さて、ケンさん、この辺で始めようか」
ビニールシートを敷いて荷物を置くと、すぐさま釣りの準備に取り掛かった。
妹尾が仕掛けを作っている間は、ケンが傘を差し、次はお互いの役割が入れ替わる。そんな風にやってみたが、いかんせん二人とも釣りは素人のため、仕掛けを準備するだけでも大いに手こずった。
妹尾が今朝、天ヶ浜の釣具店から調達した生餌のゴカイは新鮮で活きがよく、濡れた手で釣り針に刺すのは一苦労だった。そして、この雨では傘など差してもたいして役に立たないことも早々に理解した。
雨に濡れながら、二人がどうにか海面に釣り糸を垂れるまでに二十分が過ぎた。
ケンは比較的波の穏やかな防波堤の右側に、陸地の方を向くかたちで腰を下ろした。意味をなさない傘を使うのはとっくに諦めていた。ベースボールキャップは雨水を含んで早くも重たくなり始めていた。
「ケンさんがそっち側なら、自分はこっちで釣ってみるか」
妹尾は沖を向くかたちでケンの反対側に腰を下ろした。打ち寄せる波がもろに防波堤にぶち当たる側である。そんな場所で釣りなどあり得なかったが、妹尾があえてこちらに陣取ったのは、ケンに背を向ける形で腰を下ろしたかったからだ。これなら気づかれることなくケンの背後に立てる。
傘を差しながら、荒波に向かって釣り竿を握る妹尾。その背中に向かってケンが「幸運を」と声を掛けた。

無言のまま十分以上が過ぎていった。
防波堤を激しく叩く波音と傘を打つ雨音。それに混じって、岸辺の方から微かに太鼓の音が聞こえる。こんな天候だが祭りは無事に始まったらしい。
ケンを背後から襲うタイミングを慎重にうかがう妹尾の中で、シャツの下に隠したP7M8が徐々に存在感を増していった。
その時、ケンがおもむろに立ち上がる気配がした。