妹尾にも分かっていた。ケン・オルブライトの存在が井口母娘の生活に、幸福か或いはそれに近い何かをもたらしているのは明らかだ。
だが、もう二、三日もすればケンはこの地から、いやこの世から姿を消し、彼女らの日常も一変する。その原因を作るのはこの自分だ。
元気を取り戻した舞子を優しく見守る悦子。その幸せそうな様子を見るにつけ、妹尾は、彼女らと接触を持たねばならなかった今回の仕事を呪いたくなった。だが情に流されている場合ではない。いつもの掃除と何も変わらない。芽生えつつある感情を殺し、ただ機械のようにことを成し遂げるのみだ。妹尾は自分自身を戒めた。
ケンと舞子が帰ってくるまでの間、中身の少なくなったコーヒーカップを手で弄びながら、妹尾は考えを巡らせていた。
焦りは禁物だが、ケンを連れだす具体的な算段をつけなければならない。
結局、昨夜一晩考えてみたが上手い誘い文句は思いつかなかった。
唯一浮かんだアイディアは、明後日の奉納祭で撮影の助手をしてくれないかとケンに提案することだった。
ちょっと苦しいが、疑念を抱かせるような不自然さはないだろう。
心配なのは、ケンがすでに舞子と祭りに出かける約束をしているのではないかということだった。
年に一度の祭りがあるというのに、恋人同士がデートに出かけない方がおかしいだろう。
しかし祭りは土日の二日間ある。
ホテルのフロントで聞いたところによると、初日の土曜日は神輿が出るものの前夜祭的な意味合いで、本当に盛り上がるのは伝統儀式や花火大会のある日曜日だと言っていた。
おそらく土曜なら、ケンを連れだせるのではないか。
いや、何としてもそのような方向に話を持っていかねばならない。
そこに二人が帰ってきた。
「ただいまー」
「ただいまぁ」
「お帰りなさい」
悦子と妹尾が声を揃えて言った。
「そしたらケンさん、荷物置いといで。今夜も飲むよー」
舞子は嬉しくて仕方ない様子だった。そして四人による宴の第二夜が始まった。
なんてことのない会話のやりとりが続く中、ケンに撮影助手の件を切り出すタイミングを伺っていた妹尾は、その内もっと自然で都合のいいアイディアを思いついた。それは奉納祭のハイライトともいえる天懇献呈の儀の話題が出た時だった。
「その儀式というのは、そもそもどういった意味合いがあるんですか?」
「天ヶ浜に昔から伝わるお話でね」
神に魚を献上したという昔話から、現在の儀式の内容までを、悦子が一通り説明した。
「なるほど、魚を捧げると願い事が叶うんですか」
「そ、妹尾さんなら何をお願いする?」
「え、自分?」
舞子からの思いがけない質問を受けた妹尾は、返答に詰まりつつも実際考えてみた。
俺の願いか。
裏街道を歩き続けて数年、そろそろ潮時だと感じている。
できれば今回の仕事を最後にしたい。いや、数日前だったらそう願っていただろうが今は少し違う。
ケン・オルブライトを葬りたくない。今はそう感じ始めている。
唐島興行からの依頼を反故にして、天ヶ浜に腰を落ち着けて、こうしていつまでも井口母娘らと一緒に過ごしてみたい。
だが、もう二、三日もすればケンはこの地から、いやこの世から姿を消し、彼女らの日常も一変する。その原因を作るのはこの自分だ。
元気を取り戻した舞子を優しく見守る悦子。その幸せそうな様子を見るにつけ、妹尾は、彼女らと接触を持たねばならなかった今回の仕事を呪いたくなった。だが情に流されている場合ではない。いつもの掃除と何も変わらない。芽生えつつある感情を殺し、ただ機械のようにことを成し遂げるのみだ。妹尾は自分自身を戒めた。
ケンと舞子が帰ってくるまでの間、中身の少なくなったコーヒーカップを手で弄びながら、妹尾は考えを巡らせていた。
焦りは禁物だが、ケンを連れだす具体的な算段をつけなければならない。
結局、昨夜一晩考えてみたが上手い誘い文句は思いつかなかった。
唯一浮かんだアイディアは、明後日の奉納祭で撮影の助手をしてくれないかとケンに提案することだった。
ちょっと苦しいが、疑念を抱かせるような不自然さはないだろう。
心配なのは、ケンがすでに舞子と祭りに出かける約束をしているのではないかということだった。
年に一度の祭りがあるというのに、恋人同士がデートに出かけない方がおかしいだろう。
しかし祭りは土日の二日間ある。
ホテルのフロントで聞いたところによると、初日の土曜日は神輿が出るものの前夜祭的な意味合いで、本当に盛り上がるのは伝統儀式や花火大会のある日曜日だと言っていた。
おそらく土曜なら、ケンを連れだせるのではないか。
いや、何としてもそのような方向に話を持っていかねばならない。
そこに二人が帰ってきた。
「ただいまー」
「ただいまぁ」
「お帰りなさい」
悦子と妹尾が声を揃えて言った。
「そしたらケンさん、荷物置いといで。今夜も飲むよー」
舞子は嬉しくて仕方ない様子だった。そして四人による宴の第二夜が始まった。
なんてことのない会話のやりとりが続く中、ケンに撮影助手の件を切り出すタイミングを伺っていた妹尾は、その内もっと自然で都合のいいアイディアを思いついた。それは奉納祭のハイライトともいえる天懇献呈の儀の話題が出た時だった。
「その儀式というのは、そもそもどういった意味合いがあるんですか?」
「天ヶ浜に昔から伝わるお話でね」
神に魚を献上したという昔話から、現在の儀式の内容までを、悦子が一通り説明した。
「なるほど、魚を捧げると願い事が叶うんですか」
「そ、妹尾さんなら何をお願いする?」
「え、自分?」
舞子からの思いがけない質問を受けた妹尾は、返答に詰まりつつも実際考えてみた。
俺の願いか。
裏街道を歩き続けて数年、そろそろ潮時だと感じている。
できれば今回の仕事を最後にしたい。いや、数日前だったらそう願っていただろうが今は少し違う。
ケン・オルブライトを葬りたくない。今はそう感じ始めている。
唐島興行からの依頼を反故にして、天ヶ浜に腰を落ち着けて、こうしていつまでも井口母娘らと一緒に過ごしてみたい。