前方一キロほどの距離に造船所が見える。造船所のゲート付近に目立ちにくい場所を探して、ターゲットを目視しよう。首から一眼レフカメラをぶら下げていれば、その辺りをうろついたところで怪しまれることもないだろう。何しろ自分は、天ヶ浜の取材でこの辺一帯を撮影して回っているフリーカメラマンなのだから。
造船所に向かう妹尾は、やがて背後から、誰かがジョギングで近づいてくる気配を感じた。日本海を眺めながら朝のジョギングに励む人間がいたって不思議はない。いずれにせよ交通量も多いし、ターゲットを出勤途中に始末するのはまず不可能だな。そんなことを考えながら、何気なく振り返った妹尾は、驚きとともに思わずジョギングの主を凝視した。
唐島興行から渡された海兵隊員時代の写真に比べると幾分くたびれてはいるが、間違えようもない。まさに始末すべきターゲット、ケン・オルブライトがこちらに向かって走ってくる。
早く視線を逸らすんだ、さもないと怪しまれるぞ。意識は警告を発しているが、本能はそれに抗い妹尾にケンを凝視させ続ける。
ケン・オルブライトが妹尾の存在に気付いた。
二人の視線が交錯する。
スローモーションのように時間が引き延ばされ、妹尾にはその一瞬が異様に長く感じられた。
追い越し際、ほとんど気づかないほど微かに、だが確かに妹尾に向かってほほ笑んだターゲットは、一言だけ、短い言葉をかけてきた。
ケンの口元が動くのが確かに見えたが、何と言ったのかまでは聞き取れなかった。
再び世界は通常の速度で回り始める。
ケンはそのまま造船所に向かって走り去っていった。
徐々に小さくなってゆく後ろ姿を目で追いながら、妹尾は素早く思考を巡らせた。
ケン・オルブライトの確認は完了した。
朝の出勤時に殺るのは、ケンが一人とはいえ状況的に論外だ。
となれば次のプランは仕事を終えて帰る時か。
夕暮れ時ならば、リスクはかなり軽減するだろう。
射殺し、すかさず道路脇の藪の中にでも引きずり込む。
夕方になったらもう一度足を運び、仕事帰りのケンを狙うことが可能かどうかを見極めるとしよう。

その日の夕方と翌日の同時刻、二日間に渡って妹尾は、仕事を終えて帰宅するケン・オルブライトをこっそり観察した。そして、仕事を終えたケンを、自転車に乗って迎えにくる若い女の存在を確認した。岡野が、美人の彼女ができたみたいだと言っていたが、あの女に違いない。
一見中性的ともいえる顔立ちの美しさは際立っており、夕暮れの薄暗がりの中でもその美貌ははっきりと見て取れた。二日続けて、造船所まで迎えに来ているということは、きっと明日も明後日も同じだろう。毎日二人で帰宅しているに違いない。
通勤途中のターゲットを始末するという考えを早々に諦めた妹尾は、次なるプランを実行に移すことにした。
ケン・オルブライトが一人になる。それも人目のないところで。
そんな都合の良い状況がないのであれば、それを作り出せばいい。そのためには内側に潜り込むのだ。
殺しを生業とする以上、ターゲットとの距離は遠いほど好ましく、これから殺す相手に対し深入りしないのが鉄則だが、どうやら今回はそれが難しそうだ。
やむを得まい。明日になったらケン・オルブライトが下宿しているという喫茶店に顔を出すとしよう。店の名前は確か・・・。