妹尾が天ヶ浜の駅に降り立った頃には、日も落ちて辺りはすっかり暗くなっていた。
時の流れに取り残された商店街に、買い物客の姿はなかった。アーケード入り口の手前に立つ寂れたビジネスホテルは、営業していることが辛うじて分る外観である。おそらく天ヶ浜にある唯一のホテルだろう。
案の定、妹尾のような飛び込み客でもすぐに部屋がとれたが、それもそうだろう。こんな辺鄙な町にわざわざ泊りの用事がある人間など、そうそういるはずもない。
今回の仕事にケリをつけるのに最長で一週間。そう見積もった妹尾は、とりあえず今度の日曜日まで、連泊で部屋を確保することにした。
フロントの従業員女性の言葉は意外なものだった。
「お客様、ラッキーでしたね。もう数日もしたら、ご予約なしでは先ず泊まれないんですよ」
「あ、そうなんですね」
「ええ、今度の週末は奉納祭がございますでしょ。天懇献呈の儀を見物にわざわざ他県から来られる方も大勢いらっしゃるんです」
そこで妹尾は、間もなく地元の祭りがあると岡野が言っていたのを思い出した。そもそも自分は、その祭りを取材するために天ヶ浜に来たフリーのカメラマンという偽装身分を演じるのだった。
「あ、お祭ですね・・・そうですよね。実は自分も奉納祭の写真を撮るために来てまして」
妹尾はカメラバッグを掲げてみせた。
「あら、そうだったんですね。一週間前から来られるなんて、気合入ってますね」
女性は屈託のない笑顔をみせた。一切疑う様子もないところをみると、少なくとも見た目に関してはカメラマンとして通用するということか。妹尾は一安心した。
「いやぁ、まぁ、フリーのカメラマンなんで暇なんですよ。祭りが始まるまではちょっとこの辺りを散策してみようかな、なんて考えてます」
「散策ですか・・・でも、この辺りには何にもないですよ」
「確か造船所があるとか」
さりげなく聞いてみた。
「ええ、商店街を抜けて海岸に降りれば左手に見えますからすぐに分かりますよ。造船所に何かご用でも?」
「え?あ、いえ。そういうわけでは。ただ電車から見えたもんですから」
妹尾は取り繕うと、キーを受け取ってフロントを後にした。
こうした田舎では、人とのコミュニケーションが都会よりも密になりがちだ。妹尾の職業柄、それは決して好ましい事とはいえない。怪しまれない程度に距離感を保ちながら、自分がカメラマンであることを忘れずに行動しなければならない。
明日は、早速造船所に赴いて、先ずはターゲット、ケン・オルブライトをこの目で確認するとしよう。彼の行動パターンを観察し、始末するのに最適な時と場所を確定するのだ。

翌朝。造船所が開くのは早くとも八時くらいだろうと見当をつけた妹尾は、七時過ぎに外出した。
適度な冷気が心地よい秋の朝だった。商店街を抜けてしばらく歩くと、潮の香りとともに藍色の日本海が見えてきた。
通りの先に海が見えてくる瞬間には、なぜだか人をわくわくさせる力がある。人ひとり始末しにきた妹尾でさえ、思わず目的を忘れてしまうほどの魔法の瞬間だった。
海に突き当たると、海岸線に沿って国道が走っていた。道路はこの時間帯からすでにけっこうな交通量がある。通勤のマイカーや運送トラックが砂利を跳ね上げながら、歩道を歩く妹尾を追い越して行く。