ユーリはここに自分のロッカーを持っており、自前のルートで調達した西ドイツ製の拳銃やサブマシンガンを保管していた。非番の度にここに来ては、それらの銃器を使って自ら射撃訓練に励んでいるという。
こうしたストイックな鍛錬の継続こそが、ユーリの超人的射撃技術を支えているのだ。妹尾は驚きとともに尊敬の念を隠せなかった。そしてこの若きドイツ人を銃器関連の師と仰ぎ、その後、度々この射撃場を訪れてはユーリと一緒に訓練に打ち込んだ。
この時ユーリが妹尾に薦めたのが、ヘッケラー&コッホ社製の自動拳銃P7M8だった。独自の機構を盛り込んだP7M8の扱いに習熟するのは、妹尾にとって骨の折れることには違いなかった。だが着実に射撃技術が向上してゆくなかで、自分にはまだ伸びしろがあるという事実が何より嬉しかった。
ますます訓練にのめり込んだ妹尾は、やがて自分の手の延長のように、P7M8を自在に使いこなせるまでになった。ユーリとの射撃特訓がなければ、元第1空挺団だろうが外人部隊帰りだろうが、拳銃一丁で標的を始末してゆく掃除屋稼業など、決して自分には務まらなかっただろう。今も妹尾はそう考えている。

外人部隊での第二期目も半ばを過ぎた頃、妹尾は一週間の有給休暇を取得した。休暇を使って何かをやりたいという具体的な計画があったわけではなかった、ただ基地内で単調な毎日を送る中で、自分の中から緊張感が失われている気がしていた。こんな調子で戦場に送り出されたとして、果たして無事に役目を果たせるのだろうか。そんな不安もあって、気分をリフレッシュする必要を感じていたのだった。
妹尾は、パリの有名観光スポットを一人で回りながら気がついた。射撃場に向かう中継地として何度もパリに来ているのに、この花の都をまともに見物したことがないとは・・・。
おかげで、今さらながら見るもの全てが新鮮に感じられた。エッフェル塔、凱旋門、ノートルダム大聖堂など誰もが知っている有名なスポットを見物しながら、軍隊のことはすっかり忘れて、一般人らしい感覚でパリを満喫することができた。
振り返れば学生時代はスポーツに打ち込み、卒業後は軍隊一筋で生きてきた妹尾にとって、こうしたレジャーを思いのほか満喫している事実が、自分自身でも意外だった。

休暇も残すところあと一日となった夜。妹尾はダウンタウンの酒場でたっぷりと酒を楽しんだ後、酔っぱらったまま辺りの散策に出かけた。
夜風に当たろうとセーヌ川沿いを歩いてみると、至る所でカップルが抱き合いキスをしているのに出くわした。ジロジロ見物するわけにもいかないが、かといって彼らの存在を気にせずに歩けるほどの図太さも持ち合わせていない。妹尾は、川面に映える美しい街灯を眺めながらの散歩という贅沢を早々に切り上げた。
マレ地区は日付が変わってもなお若者たちで賑わっていた。ゲイが集まるエリアなどとは知る由もない妹尾は、ハンサムな男たちに何度も声をかけられて、一体これはどういうことだろう?と不思議に思いながら、誘いを断り続けた。
高級住宅街の十六区に辿り着くと、今度は有名なブローニュの森を歩いてみることにした。きっとセーヌ川と同様に、恋人たちがロマンチックな時間を過ごしているのだろう。そんな中を男一人で歩いていたら、覗き目的の不審者扱いされるのではなかろうか。少し不安になったが二度と訪れることもないかも知れないと思うと、勇気を振り絞って歩き出した。そして驚いた。
道沿いのベンチの至る所に絶世の美女が一人で佇んでいるのだ。妹尾が近づくと、彼女らは決まってコートの前を開く。そこでまたしても妹尾は仰天した。コートの下は下着姿ではないか。夜ともなればブローニュの森が一大売春スポットへと姿を変えることなど知らない妹尾には、それはとてつもない衝撃だった。気まずい気分で足早に立ち去ろうとしたが、何度も娼婦から声をかけられているうちに、酔いも手伝ってまんざらでもない気分になってきた。
もし今度声をかけてきた女性が好みのタイプだったら、ものは試しについて行ってみるか、だが今の所持金で足りるかな、などとぼんやり考えながらふらふら歩いている内にブローニュの森を抜け、気がつけば人気のない路地裏に迷い込んでいた。