伊折は玄関で「入ると兄が怒るんだよ」と力なく笑った。ドアを開けて、手を振った。下駄箱の上には、ドリームキャッチャーと、くじゃくの羽が飾ってあった。羽はすっかり茶色になってしまった。お兄さんのですか? と私は尋ねた。伊折は頷いた。
「クジャクには不思議な力があるんだ。中国では、呪いから守る鳥だって信じられていた。その目が悪霊をはらってくれるものだって」
 その横には、眼球くらいの大きさの、赤と青の球をひもに通したストラップが掛かっていた。あれはトルコの術具、と伊折は言った。赤い目は幸福をより分けて、青い目は不幸をにらみつけて遠ざけるんだ。
 私は手を握りこんだ。ひどいことを言ってしまうと思った。そして私は言ってしまった。
「遠ざかりましたか?」
「いや」
 伊折は私を見つめた。そこには表情という物がなかった。私もきっと、どんな顔もしていなかったと思う。私たちはこういうときの為の表情がなかった。
「不幸はぜんぜん離れてはいかなかった」