「あれは私の兄だよ」
 先輩は突然言った。
「オカルトが好きなのも私の兄だ。私にいろんなことを教えてくれた。私はあんまり信じてなかったけど、それでも楽しかった。なんてったって、兄が好きなもんだからな」 
 道路には誰もいなかった。遠くの方で、自動販売機が、アスファルトを照らしていた。虫が鳴いていた。
「五階の国語科準備室に、資料をあんなにため込んだのも、兄貴だ。高校でオカルト研究会に入って、楽しそうにしてた。会誌とか作ってさ。私に自慢してきた」
 私は頷いた。遠くで犬が鳴いた。柵を叩く音が追った。
「それも、兄が高三になるまでのことだった。オカルト研究会には、兄以降、新入部員が誰もいなかった。ほんとの話だ。もう、誰もオカルトになんて興味が無いんだよ――要するに、あれは嘘の話だからな。兄はたぶん、いじめられてた。生徒ってより、教師にいじめられてたみたいだった」
 彼女は言葉を切った。
「内申書を書いてもらえなかった。明らかに点数が悪くつけられていた。一人だけ補講の通知が来なかった。申請書が提出がされていなかった。センター試験の申請を、兄貴は自分でしていた。馬鹿げた話だろ。
 兄貴は精神を病んでいった。多分、大学に落ちたのが決め手だったんだろうな。ずっと引きこもってる。精神的な世界に行ってるんだよ……ルールを守り始めてる。オカルトが現実と混ざり始めてるんだ」
 間。私には言えることがなかった。
「あたしは兄に元通りになってほしいとまでは思ってない。ただ、ほんのちょっと、昔みたいに話してみたいだけなんだよ。葉巻型UFOが見られなくなった理由とか、そういうのを語りたいだけなんだ。それがどんくらい高望みなんだ?」
 間。
 彼女は私の目を見た。そして、「さっきのは嘘だ」と伝えた。
「本当はもっと求めてる。兄が虐げられていた確固とした証拠をつかみたい。そして、まだあの高校にいる――兄は教員の異動のニュースを全部集めてるんだ――どんな種類のカス野郎が、兄の人生を潰したのかはっきりさせたい。そいつに、しかるべき場所に出向いてもらって、しかるべき処分が下されるのを、この目で、いいか、あたしはこの目で見てみたいんだ」
「どうやってやるつもりですか?」
 先輩は、口角を一瞬だけ上げた。それは引きつっているみたいにも見えた。
「兄はきっと、起こったことを全部書いてる。誰がやったとか、そういうのを、全部だ。こっそり、どこかにしまったって言ってた。お前が言ってただろ、あの倉庫」
「別館資料室」
「そう、そこに眠ってるはずなんだ。兄の卒業年度は分かってる。どうにかして忍び込んで、どうにかしてその資料を抜き出せばいいだけだ」
 私は言った。
「やりましょうよ。私たちならできますよ。本気で言ってるんです。なんとかしましょう。あの倉庫に入りましょう。それで、先輩のお兄さんが書いた物を探しましょう」