デスクで概要を伝えると、部長指示で、部長卓の横にある小会議室に移ることになった。この会議室は、要すれば、部長がコソコソ話をするための部屋だった。
 部長、寺岡は早々に席につき、神崎も二人に続く。
 わざとらしいほど大きなため息をつきながら、部長が口火を切った。

「…その、事態は把握したが、なんとかならんもんなのかね。もう知事も市長も予定は抑えている。マスコミへの投げ込みも行った。今更フクロウなしはありえないだろう」

 部長は苛立ちを隠そうともしなかった。大きめの貧乏揺すりは苛立ちの空気に加速度をつける。

「インフルエンザを感染拡大させるのが最悪です。フクロウを呼ぶことは諦めるべきです」

 寺岡の見切りは驚くほど早かった。
 冷たさすら感じるが、正論は正論だ。
 神崎はまだそこまで割り切れていなかったが、他にアイデアがあるわけではない。静観するしかなかった。

「生出演は無理でも…中継とかビデオメッセージとか、その辺はできないかね。いや、でも…、しかし…」

 部長が示した選択肢は最低限の挽回策としてはありうるかもしれない。ただ、あくまで最低限。それでは煽りすぎた聴衆の期待に全く届いていないだろう。部長も同じ肌感覚なのか、語尾が弱気だった。
 そもそも中継やメッセージだって、病人に強要できるものでもない。

 寺岡はうつむきながら右手の親指を眉間に押し付ける独特のポーズを取っていた。寺岡が考えごとをするときの癖だった。
 今は、中継やメッセージの妥当性を検討する時間なのか、他のアイデアを検討する時間なのか、誰も説明せず、誰も仕切らない。
 久々に味わう秒針音に支配される時間に突入した。

 沈黙を破ったのは寺岡だった。

「中継やビデオメッセージは最低限のレベルだと思います。ただ、いずれにしても本人への確認が必要です。どうせ本人に確認するなら、もう一つ選択肢をあげてはどうかと思うのですが」

「もう一つとは何かね?」

 部長は感情が声色に出やすいタイプだった。寺岡のもったいぶった言い方に明らかに苛立っていた。

「フクロウは覆面での出演を希望していました。そしてそれを我々は認めた」
「それがどうした」
「覆面での出演であれば誰が出ても同じですよね。例えば『我々が』代理で出たとしても」

 寺岡の選択肢は斜め上すぎた。

「そんな…いや、でも、代わりに話すことなどできないだろう」
「講演資料は既にもらっています。本人への確認が必要な個所もあるでしょうが、講演原稿さえ作ってしまえば何とかなると思います。いや、フクロウが講演原稿を既に作っていたとしたら、それをもらって代読するだけです」
「パネルディスカッションは?」
「進行役にあまりフクロウに振らないようにネゴしておけば、ボロが出ないうちに終えることは可能かと」

 寺岡の声色は冷静だった。

「仮に可能だとしても、そんなことフクロウ本人が許さないだろう?」
「もちろんフクロウ本人の了解を取る必要はあります。ただ、普通の社会人であればドタキャンに責任を感じるものでしょう。堂々と覆面代理出席を打診してみれば良いのではないでしょうか。元々詰んでいたのです。確認して、オーケーだったら儲けものという感じで」

 部長は何度もうなり声をあげながら考え込み始めた。
 突飛な選択肢ではあると思ったが、寺岡の話を聞いているとやってやれなくない気もしてくる。ただ、いくら何でもフクロウ側が了承するとは思えなかった。

「とりあえず、全部聞くだけ聞いてみてくれ」

 部長は考えることを放棄したな、と思った。
 ともあれやるべきことが決まったのは、少しだけ心を楽にしてくれた。

 会議室から出て、各々の机へ。
 神崎自身も自分で判断することを完全に放棄し、粛々とフクロウに確認メールを書いた。メール送信後、念のため試みた電話は、やはり繋がることはなかった。
 今、できることは、ただひたすらメールの返事を待つことのみだった。

 十七時の終業の鐘を聞いたところで、一旦たばこを吸いに行くことにした。 インフルエンザだとしたら、メールをしばらく見ない可能性だってある。そんな最悪の想像も膨らませながら席に戻ってみると、フクロウからの返信が届いていた。
 こちらのメール送付から一時間後のこと。案外早い返信だった。

『代理出席のラインで結構です。用意していた講演原稿と覆面はお送りします。よろしくお願いいたします』

 O市にとって前代未聞の大イベントは、覆面をかぶった人が主役のイベントであり、しかも覆面の中身は偽物になることが決まった。
 世界を見渡しても前代未聞とも言えるイベントになりつつあった。