ホワイトに聞こえるように言い、片手をあげてみせる。
そのサニエは、今日はアリムの変わりに新しい商品の下見に出かけている。
アリムは、なにか大切な用事があるといっていた。
「このお店がもっと繁盛してくれたら、ホワイトの小屋を作れるのに」
今のところ、ホワイトは店の外で寝起きしていた。
雨などが降ると、山へ飛んでいって木々の間に身を潜めて過ごすのだという。
「農機具だけじゃなくて、キッチン用品も置けばいいわ。それから店内をもっと明るくして、小窓ももっとオシャレなカーテンに変えて――」
店内の掃き掃除をしつつ、そこまで言ったとき外が騒がしくなってきた。
いろんな店がほぼ同時にオープンするので、このにぎやかさはいつものことだった。
しかし今日は、その騒がしさが、次第にこちらへ近づいてきているのだ。
「あら……お客さんかしら?」
手を止めて、カウンター内へと戻る。
いつもは開店してもしばらくお客はこない。
昼頃くらいから徐々にお客は増え始め、商品を吟味しては小首をかしげて店を出る。
そんな事が多かった。
なのに、バンッと開いた店のドア。
勢いよく入ってくる数十人、いや、数百人はいそうな客数。
その数に、カウンター内で唖然として立ちすくんでしまうローズ。
(これは一体、どういうこと……)
「ローズ! 鍬はどこにある?」
「俺は馬をひく綱を探してる!」
「畑の肥料は、置いてるのかしら?」
次々と浴びせられる質問に、ローズは「あ、えっと、あの、こちらっ!」と、しどろもどろに受け答えをする。
「一体、今日はどうしたって言うんですか?」
ちょうど、ローズを地下室から助け出してくれた街の一人と目が合い、ローズは訊ねた。
「今日は街のみんなの給料日なんだよ。薬を分けて助けてくれたアリムに、ちょっとでも恩返しするために来たんだ」
「はぁ……」
昨日サリエに会計を教えてもらったからといって、1人でさばける人数ではない。
焦っておつりを取り落としたり、買い物袋が破れてしまったり。
「ローズ、会計はゆっくりでいいよ」
お客さんの1人がおかしそうに笑いながら、そう言った。
商品から顔をあげてみると、待たされていることに怒っている客は誰もいない。
むしろ、もうちょっと長くこの店にいたいと思っているようで、ローズは胸が熱くなった。
「ありがとうございます」
深くお辞儀をして、ローズは再び会計と格闘を始めたのだった。
ローズが沢山の客の会計をしている時、アリムは自分の足である場所へ向かっていた。
それは街の中心地にある、地下街。
なんの変哲もない赤レンガの店に入ると、そこには大きな体でヒゲの生えた男が1人立っていて、そこでありったけの金を支払った。
そして、連れて行かれた先は地下街へ続く長い階段。
すすむにつれて薄暗く、壁に設置されているロウソクの火だけが頼りだった。
昨日、アリムはまたあの魔女に出会った。
そして、自分にこう行ったのだ。
『ローズの母親は、地下街で働いている』と……。
それは、ローズの言っていた通りだった。
ここ地下では、女が体を売る店が並んでいる。
アリムが入ったことは1度もないが、そんな場所があるということは、知っていた。
魔女の言葉が本当かどうか、最初は半信半疑だった。
『どうして、そんな事を知ってる?』
『水晶さ。これにかかれば、見たいものが見える』
そう言い、魔女は懐から手のひらよりも小さな水晶を取り出した。
そして、その水晶に魔女が右手をかざすと……白いモヤが水晶全体を包み込み、それが消えたときこの地下が映し出されたのだ。
『これがローズの母親だよ』
汚れたベッドの上に座る疲れきった顔をしている1人の女性に、アリムは目を奪われた。
かなり老け込んでみえるが、口元や鼻のかたちがローズにそっくりだったから。
『俺に、どうしろってんだよ』
『両親がいない悲しみは、お前がよく知ってるだろう』
魔女の言葉にアリムは目を見開いた。
一瞬、この人は人の過去まで見えるのかと思った。
しかし、『街の人から生い立ちを聞いたぞ』と言われ、その発想は打ち消された。
『あぁ、そうか』
実は、アリムとサリエには両親がいない。
妹といいながらも血のつながりはなく、互いにあの店の前に捨てられていたのだ。
2人の名付け親であり、育ての親である小柄な男はアリムが10歳の頃病死した。
それからというもの、残された妹と店を守るためアリムは必死で働いてきた。
しかし世間の目は厳しく、親のわからない子供の店で買い物をする客はほとんどいなかった。
時折近所のおばさんが持ってきてくれる野菜と、アリムがくすねてくるお菓子などで飢えをしのぐ毎日。
18になってからも、その生活はほとんど変わらなかった。
盗みはしなくなったものの、贅沢は一切できない。
服も、ボロ雑巾と言われようがこれ一着しか持っていなかった。
『俺が、連れてくればいいんだな』
水晶の中の女を脳裏に焼き付ける。
そして、次の瞬間。
水晶から目を離した隙に魔女は姿を消し、そこには日常の雑多が広がるだけだった。
そして、今。
アリムは水晶で見た地下の店の前に来ていた。
灰色の、古い扉を開けるとそこには沢山の女たちが長いソファや丸い椅子などに座っていた。
先に料金は支払っているので、この中で好きな女を選び、奥の部屋へ移動するのだ。
アリムは女の顔を確認しながらその場を歩く。
1人かけのソファに身をしずめ、どこかうつろな目をしている女の前で、アリムの足が止まった。
「あんた……」
そうだ、この人だ。
水晶で見たローズの母親。
女はちらりとアリムを見て、そして無言で立ち上がった。
アリムを誘導するように、店の奥へと歩いていく。
それについていった先にはカーテンが一枚引かれていて、開くと大きめのベッドが用意されていた。
女はアリムに《入って》と、顎で合図する。
一瞬躊躇したアリムだが、ここは仕方がない。
人目がないほうが会話もしやすいので、黙ってベッドの上へとあがった。
すると、すぐにカーテンを閉めてベッドの上で服を脱ぎ始める女。
「ちょ、ちょっと待て!」
慌ててそれをとめるアリム。
まさか、大好きな人の母親とそんなことするワケがない。
「なに?」
「あんたをここから連れ出しにきた」
アリムの言葉に女は一瞬目を見開いた。
半分眠っていたのが、ようやくおきた感じだ。
「なにを言ってるの? できっこないわよ」
もう何年もここで働いてきたせいか、すべての希望を失っているような声。
「できるさ。俺はローズを2度助け出した」
「……なんですって?」
「あんたの娘だ」
そういうが早いか、いきなり女はアリムの胸倉を掴んできたのだ。
咄嗟のことでよけきれないアリムは見事に捕まった。
「なんで、そんな事を……!」
娘を助けたというのに、ギリッと歯を食いしばる女。
「なんで……って……」
「あの子のことは、私のお母さんが面倒見てたのに!!」
その言葉に、アリムの中で疑問が晴れて行った。
『私のお母さん』つまり、ローズにとってあの魔女は祖母にあたるわけだ。
そうか。
だからあの魔女はあんなにローズに固執していたのか。
それがわかると、自然と笑みがこぼれた。
「なにがおかしいのよ!? 塔から連れ出したら現実を知ることになるわ! 父親は娘を愛してはいない、傷つけるだけよ!」
胸倉を掴む手に更に力が入る。
けれど、アリムは冷静だった。
「あんたはどうなんだよ」
「え……?」
「あんたが、ローズを愛してやりゃいいんじゃねぇの? それに、あの魔女もかなりローズに入れ込んでるぜ? 俺も、俺の妹もローズのことが好きだ」
それでも、あんたはローズが不幸だというのか?
アリムの言葉に、女の手の力は一気に緩んでいった。
「でも、私いまさら会うなんて……」
「大丈夫、ローズはきっとあんたを許すよ。だって、ローズを守るためにやったことなんだろ?」