姫を助けたのはボロ布をまとった青年でした

その数十分後。


ローズはムスッとした表情で白馬の背中にまたがり、自分の前に座っているザイアックの背中を睨みつけていた。


「動物に剣を振り上げるなんて」


「しかし、あの竜は無傷ですよ?」


その通り。


ザイアックは振り上げた剣でローズのドレスのすそを切ったのだ。


ホワイトはギュッと目をつむり、その目を開けたときには口にドレスの端切れをくわえた状態で、ローズの姿はもうどこにもなかった。


「もう真っ暗よ? どこまで行くつもり?」


「今日は、このまま国へ向かって移動します。野宿なんてすると野生動物に襲われますからね」


「あっそ……」


ザイアックのいう事はいちいち正しくて、ローズを余計にイライラさせた。


「馬は休ませなくて平気?」


トロトロと歩く馬を気遣うふりして、どこかにザイアックの欠点がないかと探る。


「今日は昼間十分に眠らせておいたので、大丈夫ですよ」


「お腹がすいてないかしら?」


「馬の薬草と水は、洞窟に入る前にオアシスで済ませてきました」
どこまでも用意周到なザイアックに、とうとうローズは無言になった。


あたりは真っ暗で肌寒く、馬の首にペンダントのようにぶら下がっている光だけが頼りだった。


それからまたしばらくして、ローズはふとある事に気がついた。


数分前からザイアックの頭が前後左右に揺れて、まるで眠っているようなのだ。


「ザイアック?」


声をかけても、返事はない。


「馬の上で寝るなんて、危ないわよ?」


そう言って、肩に手をかけた瞬間――。


ローズは一瞬にして血の気が引いていくのがわかった。


触れたことのある感覚。


ゴツゴツと骨のでっぱった肩。


ゴクリと喉を鳴らし、唾を飲み込むローズ。


(まさか、そんなことないわよね?)


不安を抱きながら、ローズはザイアックの冠に手をかけた。


そして、それを勢いよく外した時……細かな光の粒がザイアックを包み込み、次の瞬間、その王子の姿はなくなっていた。


変わりにそこにいたのは……「おばあさま!?」ローズが悲鳴に似た叫び声をあげる。
そう、そこに現れたのは真っ黒なマントを着た白髪交じりの魔女。


ザイアンだったのだ。


ローズを長年塔へ閉じ込めていた本人が、そこにいた。


「おや……バレちまったかい」


ローズの悲鳴で目覚めたザイアンは、自分の魔法が解けていることに気づき、しゃがれた声で小さく呟いた。


「どういう事なの!?」


「ずっと……お前の行動を水晶で見ていた」


「ずっと!?」


「そう。あの窓が割られた時から」


そう言われ、ローズは初めてアリムと出会ったときのことを思い出していた。


常識外れて、強引な男。


自分にはもっとも縁のない人種だった。


それが、今では離れたくない一緒にいたいと思っている。


「あたしを連れ戻すつもりなら、どうしてもっと早く来なかったの……?」


「様子を見ていたんじゃよ。あの男が、どういう男か」


そこで言葉を区切り、ザイアンは眉間にシワを寄せた。


「その結果。やはりあの男はお前には似合わんと、結論がでた」
「ちょっと待って……一体どういうこと?」


「あの男には、お前への愛情が見受けられん」


キッパリそう切る魔女に、瞬きを繰り返すローズ。


つまり、アリムがちゃんとローズを愛せば何も問題はないのだ。


以外な発言に、ローズはしばらく放心状態になってしまう。


不意に、アリムの言葉を思い出す。


『魔女に愛されている』という、あの言葉を。


「おばあさま……あなたは、あたしを愛しているの?」


その質問に、魔女は答えない。


「ねぇ、あたしはただの実験台じゃなかったの?」


更に言葉を続けると、ザイアンは渋々口を開いた。


「ただの実験台なら、わざわざ王の姫をさらうものか」


「それって……」


「お前は、自分の生まれ落ちた境遇を受け入れられるか?」


ザイアンの言葉に、ローズはグッと喉の奥に言葉をつまらせた。


胸に苦いものがこみ上げてきて、幼少期の記憶が一瞬にしてよみがえる。


あれが王の娘だと、指を差さていたときのことを。


王は女好きだから娼婦にまで手を出して、そしてできた娘だと、笑われていたときのことを。
国に帰りたい。


だけど、帰りたくない。


その思いから、『本当に、国へ帰るの?』と、アリムに口走ったのだ。


塔へ戻りたいワケじゃない。


だけど、国にもあたしの居場所はどこにもない。


「あたしは……」


震える声で、呟くように言った。


目を閉じ、アリムの顔を思い出す。


「あたしは、大丈夫よ。アリムが一緒なら」


「何を言っておる! あの男は金が目当てだとあんなにハッキリ――」


「でも、信じてる」


ザイアンの言葉を遮り、ローズは言った。


信じてる。


妹のために、街ではすでに忘れ去られているような姫を救い出す男を。


誰も迎えに来なかった姫を迎えに来た男を。


「信じてるのよ」


もう一度言うと、ザイアンは馬を止めた。


咄嗟に、ローズはその背中をおりる。
「本当に、いいんじゃな?」


三角帽子の長いツバから見え隠れする小さな目が、少し濡れているように見えた。


「えぇ」


「現実は、過酷じゃぞ」


「もう、知ってるわ」


「勝手に飯を運んでくるババァもおらんぞ? ドレスも、自分で買う必要があるぞ」


魔女の声が震え、シワの刻まれた頬に一筋の涙が流れた。


「わかってるわ」


ローズはザイアンの手を握り締める。


「どんな苦悩にも、立ち向かうつもりよ」


その決心を目の前に、ザイアンは「そうか……」と、頷き、マントの中に片手を入れた。


「これを……」


そしてその手を開くと、赤い薬が1つ乗っていた。


「これは?」


「今、国で流行っている感染病を完治させる薬じゃ」


「これ、もらっていいの!?」


「あぁ。持っていけ」


「ありがとう!!」


ローズがそれを受け取ると、魔女は無言のまま馬を走らせた。
「おばあさま! ありがとう! 守ってくれて、ありがとう!」


幼い頃なら愛を知らない姫を拾ってくれて。


不器用ながら、愛してくれて。


ローズは、魔女の白馬が視界から見えなくなるまで、その場で手を降り続けたのだった。
魔女の姿が見えなくなったと思うとほぼ同時に、後ろからローズを呼ぶ声が聞こえてきた。


振り返ると、白い竜と背中にのったアリムが見える。


ローズは思わず微笑んで、「ここよ!」と、手を上げた。


「大丈夫か、ローズ!」


心配そう言ってくるアリムの姿はぼろぼろで、今すぐにでも手当てが必要だった。


それなのに、自分を先に迎えに来てくれたアリム。


(ほらね、おばあさま。彼なら信じられると思うの)


「あたしは大丈夫よ」


ボロボロの王子に手を引かれ、竜の背中に乗る。


「とりあえず、洞窟に戻って手当てしなきゃね」


ローズがアリムの傷口にちょんっと触れると「いってぇ!!」と悲鳴を上げたのだった。
☆☆☆

翌日。


朝の早くに洞窟をでた2人は昼頃から周囲の異変に気づき始めていた。


動物の死骸があちこちに散乱し、たまのオアシスには生き物の姿がなくなっていた。


「感染病のせいだ。あの病気は人間でも動物でも関係なく感染する。だから国中が感染するのもきっと時間の問題だ」


アリムはそう言い、ホワイトのウロコをギュッと握り締めた。


早くしないと、妹が死んでしまう。


そんな焦りがにじみ出ている。


「こんなことになってるなんて、あたし知らなかった……」


「塔の中にいたんだ。仕方ないだろ」


「そうだけど……」


ここまで深刻になっているなら、もっとよく説明してくれてもよかったのに。


ザイアンを思い出し、そんな事を考える。


「あたし、やっぱり魔女のおばあさまに愛されてたみたい」


「なんだよ、急に」


「昨日、ザイアック王子に連れて行かれたとき、なんとなくそう思ったの」


「へぇ?」