「突然で驚かれたでしょう。ローズ姫」
男は片膝をつき、アリムの後ろのローズへ挨拶をする。
「あなた、誰?」
「自己紹介が遅れました。わたくしは北の国のザイアック王子です」
「聞いたことないわ」
「それは当然でしょう。あなたは塔に閉じ込められ、情報を遮断されていたのですから」
ハハッと作り笑いを浮かべるザイアック。
ローズはアリムへ向けて「聞いたことがある?」と訊ねた。
「さぁ? 知らねぇけど?」
と、答えるアリム。
そしてローズはザイアックへと疑念の目を向けた。
「姫、わたくしの話を信用してはくれないのですか?」
「信用するって言われても……」
(そもそも、どうしてあたしがここにいるってわかったの?)
明らかに怪しいこの男。
王子様に助けられるのが夢だったローズだが、さすがに簡単に騙されはしない。
「わたくしは偶然ここを通りかかったのです。そう、姫を助けにいく途中でした。風が強くなってきたので今日は洞窟で一晩過ごそうと考え入ってみると……なんということだろうか! 探していた姫がこんなところにいたなんて!」
ザイアックは大げさな身振り手振りを交えて、熱演し、最後にアリムを押しのけてローズの手の甲にキスを落とした。
「俺の女に何すんだよ!」
アリムが怒鳴り、『今、存在に気が付いた』と言わんばかりにザイアックが視線を移した。
「やぁ、君は……誰だい?」
少しの沈黙の間にザイアックはアリムの着ている服を下から上まで見回し、そして顔をしかめた。
「俺はアリム。街の商人だ。ちなみに、姫は俺が助け出してここまで俺が連れてきた。もちろん、俺が責任を持って姫を王の元へ返す」
『俺』という部分をやけに強調して告げるアリム。
「なるほど。君の言いたいことはよくわかった。で、いくらだ?」
ザイアックはポケットから巾着のような袋を取り出して、開いて見せた。
そこには硬貨がジャラジャラと入っている。
「何がいいたい?」
「いくらで姫をこちらへ渡すか? それを聞いてる」
みすぼらしいアリムの姿を見て、簡単に金で動くと信じているのだ。
「なんだと?」
「きっと、君は金目当てで姫を連れ出したんだろう?わたくしは金には興味がない。興味があるのは――」
最後まで言わず、コホンッと咳払いをしてローズを見た。
その視線に、ローズは自然と後ずさりする。
「誰が金目当てだと?」
完全に図星だったが、アリムは怒りをあらわにして対峙した。
ここで引き下がってローズを手渡すなんて、そんなの男じゃない。
せめて、最後までやり遂げなければ『好き』という気持ちまで嘘になってしまいそうだった。
「男同士、素手で勝負と行きますか」
ザイアックはニヤリと笑い、腰の剣を抜いて投げ捨てた。
洞窟の中に風が吹き込み、ヒューッと冷たい音をたてた。
ローズは対峙している2人の邪魔にならないように、ホワイトの体の影に身を潜めた。
さっきまで眠っていたホワイトも、この緊迫した雰囲気に目を覚まして「キュウ」と、不安そうな鳴き声をあげた。
「大丈夫、大丈夫よ」
囁くようにホワイトへ向けてそう言い、その背中をさすった。
じりじりと距離を縮める2人。
先に手を出したのはザイアックの方だった。
アリムは突き出された拳を屈んでよけて、お腹に一発くらわせる。
「いいぞ!」
ローズは思わず拳を突き上げて喜び、再びホワイトの背中へと身を隠した。
「そんな王子やっつけちゃえ!」
その声援にこたえるように、アリムは何度もパンチをくらわせる。
「どうした? 王子様は剣術に優れていても素手じゃ話になんねぇのか?」
調子に乗ってそんな事を口走り、バランスの崩したザイアックの上に馬乗りになった。
これでもう勝ったも同然だ。
ザイアックの頬に右から、左から、何度も何度も拳を落とす。
「ほら、観念するなら今のうちだぞ?」
ザイアックは鼻血を吹いて、口の端を切った。
しかし、その目はしっかりとアリムを捕らえていて離さない。
「どうする? もうあきらめろよ」
しぶといザイアックに、アリムの力は緩んでいく。
このまま殴り続ければ死んでしまう。
早く逃げ出すなり、なんなりしてもらいたかった。
「ねぇ……ねぇ、アリム、大丈夫なの?」
ローズが、心配そうに聞いてくる。
「あぁ……たぶん」
目を開けたまま気絶してるってことはないよな?
そう思い、手を止めて様子を伺う。
ザイアックの目はしっかり見開かれているものの、焦点があっていないようにも見える。
「まじかよ」
こんなところで気絶せずにさっさと帰ってもらう予定だったのに。
予定外の展開に頭をかいた、その瞬間。
ザイアックの拳がアリムの顔面をとらえた。
急なことで避けることもできず、そのまま横へなぎ倒される。
「アリム!!」
思わず、ローズは叫んだ。
ホワイトも「キュウキュウ」と鳴き声をあげる。
しかし、アリムはその一発で完全にノックアウトされ、ピクリとも動かなくなってしまった。
それを確認し、「わたくしの勝ちだ」と、ザイアック。
(冗談でしょ!?)
さっきあれほど殴られていたにもかかわらず、ザイアックにはほぼきいていなかったのだ。
血は出ているけれど、倒れるほどのものでもない。
クルっと振り向いたザイアックから身を隠すように、ローズはまたホワイトの背中の後ろにしゃがみ込んだ。
「姫、行きましょう」
隠れても無意味だということはわかっていた。
すぐに見つかり、腕を掴まれる。
「嫌よ!」
「どうして?」
首をかしげて聞いてくるザイアック。
「だって、あたしを助けてくれたのはアリムよ!」
「だから、この青年には金をやると言ったんです。まぁ、それは拒まれましたがね」
「お金の問題じゃないわ! 気持ちの問題よ!」
「では、姫はこの青年が好きだとでも? ハハッ! 王国の姫が、このボロ雑巾のような青年を?」
冗談はよしてください。
ザイアックはそう言い、ローズを強引に引きずっていく。
「行かない……!」
「キュウっ!」
ホワイトが、ローズのドレスの端をくわえて行かせまいと引っ張る。
「この、竜が!!」
イライラを隠しきれなくなったザイアックが、投げ捨てた剣を握り、ホワイトへ向けて振り上げた。
「やめて!!」
ローズの叫び声と、ホワイトの鳴き声が洞窟にこだました……。
その数十分後。
ローズはムスッとした表情で白馬の背中にまたがり、自分の前に座っているザイアックの背中を睨みつけていた。
「動物に剣を振り上げるなんて」
「しかし、あの竜は無傷ですよ?」
その通り。
ザイアックは振り上げた剣でローズのドレスのすそを切ったのだ。
ホワイトはギュッと目をつむり、その目を開けたときには口にドレスの端切れをくわえた状態で、ローズの姿はもうどこにもなかった。
「もう真っ暗よ? どこまで行くつもり?」
「今日は、このまま国へ向かって移動します。野宿なんてすると野生動物に襲われますからね」
「あっそ……」
ザイアックのいう事はいちいち正しくて、ローズを余計にイライラさせた。
「馬は休ませなくて平気?」
トロトロと歩く馬を気遣うふりして、どこかにザイアックの欠点がないかと探る。
「今日は昼間十分に眠らせておいたので、大丈夫ですよ」
「お腹がすいてないかしら?」
「馬の薬草と水は、洞窟に入る前にオアシスで済ませてきました」
どこまでも用意周到なザイアックに、とうとうローズは無言になった。
あたりは真っ暗で肌寒く、馬の首にペンダントのようにぶら下がっている光だけが頼りだった。
それからまたしばらくして、ローズはふとある事に気がついた。
数分前からザイアックの頭が前後左右に揺れて、まるで眠っているようなのだ。
「ザイアック?」
声をかけても、返事はない。
「馬の上で寝るなんて、危ないわよ?」
そう言って、肩に手をかけた瞬間――。
ローズは一瞬にして血の気が引いていくのがわかった。
触れたことのある感覚。
ゴツゴツと骨のでっぱった肩。
ゴクリと喉を鳴らし、唾を飲み込むローズ。
(まさか、そんなことないわよね?)
不安を抱きながら、ローズはザイアックの冠に手をかけた。
そして、それを勢いよく外した時……細かな光の粒がザイアックを包み込み、次の瞬間、その王子の姿はなくなっていた。
変わりにそこにいたのは……「おばあさま!?」ローズが悲鳴に似た叫び声をあげる。