「茜……もう一度会えるなら、ちゃんと謝りたい」


 あの日、私が小言を言わなければ、普通に食事をしていれば、彼女の思いを聞いてあげてれば。きっと、事故に遭うことなんてなかった。

 ふと文さんの言葉を思い出す。再会できても、黄泉の国の住人になった茜とはまた別れなくてはいけない。私はその痛みに、もう一度耐えられるのだろうか。


「ううん、耐えなきゃ。あんなお別れのままじゃ、ずっと後悔する」


 言葉に出して、文さんの言っていた覚悟を決める。
 ゴクリと唾を飲み込んで、私は一縷の望みにかけるように門を潜った。


 ――その瞬間、目の前の景色はガラリと変わった。

 重厚感あるオーク材のテーブルと、赤い座面の椅子がいくつか並んでいる薄暗い店内。席の天井からステンドガラスような照明傘が吊り下げられていて、暖色の灯りをともしている。

 蓄音機の褪せたゴールドのホーンから流れるのは、クラシック音楽。昭和にタイムスリップしたようなレトロな空間がそこにはあった。


「なっ……なに!? ここは、なに!?」


 それ以外の言葉が出てこない。困惑と疑問が竜巻のように頭の中でぐるぐるとしていて、ついには私までその場で回転してしまう。

 鳥居の向こうには、何の変哲もない道が続いていたはずだった。なのに、私はどうして喫茶店の中にいるんだろう。

 これはまた、おかしな夢を見ているに違いない。

 そう思うのは最近、暗闇の中で道を隔てている岩に『お願いだから追いかけてこないで』と叫ぶ、カオスな夢を繰り返し見ているからだ。

「仕事辞めて、ほっとしたから? 看護師って精神的に病む人が多いってよく言うし、病気って気を抜いたときが一番怖いのよね」


 ひとりでぶつぶつと言いながら、私は改めて店内を見渡す。

 席の仕切りには観葉植物が飾られ、わりとどこにでもありそうな喫茶店だなと思いつつ、カウンターを見ると、そこには長身で白いワイシャツに腰巻きの黒いエプロンがよく似合う男が立っていた。

 ――かっこいい人だな。

 無駄な肉のついていないスッキリとした輪郭に、均等に配置された顔のパーツ。鼻筋も通っており、薄い唇も相まって端正な顔立ちを作り出している。

 しかしながら、その清楚な黒髪に反して切れ長の瞳は凶器と言っていいほど鋭い。私が恐縮しきって肩をすくませていると、男が大股で目の前にやってきた。


「お前、どこかで会ったか?」

「え、初めてだと思いますけど」 


 こんな美男なら記憶から消えることはないと思う。なにより、平気で人を刺しそうな凶悪な目つきの彼を簡単に忘れられるはずがない。人間というのは命の危険に敏感な生き物なのである。

 だが、彼は私の顔をまじまじと見つめて、納得がいかなそうに腕を組む。その眉間にしわが寄り、ますます人相が悪くなった。


「まあいい、水月(みづき)」


 誰かの名前を呼んだ男はカウンターを振り返る。すると、薄いブラウンの髪と瞳を持つ二十歳くらいの青年が黒革のメニュー表を手にこちらに駆けてきた。

 喫茶店の制服に身を包んでいるので、おそらく同僚だろう。