でも、人を助ける職についていた私は、これまでしてきたことがバカらしく思えるほどの理不尽――唐突に家族の命を奪われた。

 母は茜のことを忘れるように曾祖母の代から続いていた食堂で無心に働いていたが、昔ながらの客は高齢だ。

死別や腰痛の悪化、手足の骨折で身体の自由が利かなくなったなど、客足は遠く一方。

東京とはいえ駅から四十分も離れた場所にある古い食堂が新規の客を捕まえられるわけもなく、六ヶ月前にやむお得ず畳むことになってしまった。

 なので母は今、学校給食を作る調理スタッフとして勤務している。

 私はというと病院で妹と同い年くらいの患者が入院してくると涙が止まらなくなり、後悔に胸が詰まって仕事どころではなくなってしまう日々が続いた。

それでもなんとか続けようとしていたのだが、回復の見込みがなく三ヶ月前に退職を願い出たのだ。

 たぶん、私はもう看護師に戻ることは一生ないのだと思う。

 そして、いよいよ退職の日。私は長年入院している患者に挨拶をして回っていたのだけれど、そのうちのひとり、文(ふみ)さんという六十八歳のおばあさんが「会いたい人がいるのなら、『黄泉喫茶』へ行ってみなさい」と言ったのだ。

 そこは亡くなった人との思い出の料理を食べると、一度だけその人に会える喫茶店なのだとか。会えるのは食べている間だけで、別れは当然来る。それでも会いに行く覚悟があるのなら、行ってみなさいと私の手を握った。

 そのときの文さんの目は真剣で、まるで自分も行ったことがあるような口ぶりだったのを今も鮮明に覚えている。

 こうして私は、おとぎ話のような噂を信じて島根県まで来た。普段なら絶対に疑って足を運ばないだろうけれど、私を信じさせたのは文さんの人柄と妹に会いたいという願いがあったからだ。