「最近はいろいろ、戦時中のことも忘れっぽくなっててね。でも、こうして正一さんに話したら鮮明に思い出したわ」

「ああ、戦争のことは簡単には思い出したくないものだからな。口を閉ざして、記憶を奥底に閉じ込めているうちに、人間ってのは心を保つために自然と忘れようとする」


 言葉にするだけでも辛い記憶というものを、私も持っている。

 茜が事故に遭った日のことを思い出すだけで、できることなら帰ってきてほしい、でもそれは叶わない。願いと現実の狭間で何度も苦しむのを知ってるから、口にするのは勇気がいる。

 そんな時限爆弾を抱えている私たちは、いつまでも過去の傷と闘い続けているんだ。

 傷ついている人にできることといえば、せいぜい寄り添うことで、その痛みを本当の意味で分かち合えるのは経験者だけなのだろう。

 それでも、そばにいてくれる人がいるというだけで、心は少しずつ癒えていくものなのかもしれない。正一さんにとって、それは千代子さんだったんだ。


「なんだか、すっきりしました。残された時間、正一さんへの手土産だと思って好きなように生きてみます」

「ああ、この後に千代子がどんな思い出を積み重ねるのか、楽しみにしている。だから、最後の一日、一分一秒まで無駄にするな。生きることを放棄するな。その一瞬をどんなに望んでも、手に入れられない人間がいるのだから」

「ええ、心に刻みます」


 笑みを交わして、ハヤシライスを食べる手を同時に動かす。

 それからふたりはハヤシライスをひと口だけ残して、四十歳になった息子や大学に通う孫の話で盛り上がっていた。  

 そして残り三分を切ったところで、ふたりはスプーンを手に取り視線を絡ませた。