「不思議だな、ひとりでここに来たときは寂しくて怖くて仕方なかったのに……。皆がいると、全然不安じゃないや」
「あいつらは常にお祭り騒ぎだからな。緊張感の欠片もねえ」
悪態をつきながら立ち上がった那岐さんが私に手を差し出す。私はそれを取って立ち上がると、改めて皆の顔を見渡した。
「とりあえず、どうやってここから出よう」
「黄泉平坂に繋がる岩の扉に向かうぞ。右の道が緩やかな上がり坂になってるから、こっちだ」
そう言って右の道を進む那岐さんの背を追うように、黄泉喫茶の一行は歩き出した。
道は一本道なので分岐がなく迷わずに済みそうだが、気がかりは追手が来ないかどうかだ。
黄泉の国に落とされたということは、私が現世に出るのをよしとしない者がいるということ。ここへ初めて来たときにも武士の死者に遭遇しているし、追いかけられたらこの一本道で果たして逃げ切れるのだろうか。
ぐるぐると考え込んでいたとき、「見つけたぞ!」という声が岩の道に響いて最悪の事態が現実に変わる。
振り返ると骨が見え、片目がなく、身体のあちこちに刀や矢が刺さったおどろおどろしい男たちが私たちを指さして走ってくるのが見えた。
「いかん、黄泉の兵に見つかったぞ! あやつらは死者に共食をさせるのが仕事なのだ。灯を黄泉に落としたのも、あやつらだろうの」
慌てるオオちゃんを小脇に抱えた水月くんは「説明はいいから逃げるよ!」と、岩戸に向かって駆け出す。
それを皮切りに、私たちは黄泉平坂に向かって走ったのだが、後ろからビュンビュンと矢が飛んできて、一歩間違えたら死後の国で死にそうだ。
「オオカムヅミ、あれなんとかしてよ! 鬼も退けられるんでしょ?」
死に物狂いで足を動かしながら、陽太くんが水月くんに抱えられているオオちゃんに向かって叫ぶ。
「桃の木がないから、無理なのだ!」
「やっぱ無能!」
こんなときまで喧嘩している陽太くんたちと、なんとか矢にあたらないように蛇行しながら岩戸までやってきた私たちは固く閉ざされたそれを前に慌てる。
「これ、どうやって開けるんだ」
焦った様子で那岐さんが岩に触れた途端、岩は砕ける。
それに「「おお、神様パワー」」と水月くんと陽太くんの声がシンクロする中、オオちゃんは黄泉平坂の麓に生えた桃の木に触れる。
それはひとつも実をつけていなかったというのに、オオちゃんが触れた瞬間にみずみずしく丸い桃がなった。
「那岐、これを投げるんじゃ!」
オオちゃんから桃を受けといった那岐さんは、すぐそばまで迫った黄泉の軍勢に向かって桃を投げる。
すると、黄泉の兵たちは悲鳴をあげながら後ずさった。桃があたった兵の腕や顔から湯気が出て、心なしか溶けている気がする。
グロテスクな光景から目を背けていると、オオちゃんは私の手を握る。
「岩戸は脆くなっていたようじゃ。だから、黄泉の国から地上にいるおぬしを引きずり込めたのだろう」
「じゃあ、壊しちゃまずいんじゃ……」
今しがた那岐さんの神様パワーで粉砕した岩戸を見て、血の気が引く。
迫りくる黄泉の兵の足音を前に呆然と立ち尽くしていると、オオちゃんは私と那岐さんの手を繋がせた。
「岩戸は黄泉と地上を隔てる大事な境界線なのだ。ゆえに新しい岩戸を造る必要がある。それは創造の力を持つイザナギとイザナミの魂を持つ、おぬしらにしかできぬぞ」
息巻くオオちゃんに那岐さんは「なにをどうすればいい」と問う。腹をくくった彼に感化されるように、私も恐怖に波立つ気持ちを鎮めて耳を傾けた。
「念じればよい。おぬしらの想像力がより重なれば、具現化する」
迷っている暇も疑念を持つ猶予もなかった。
私は那岐さんと手を繋いで、黄泉の国への道を塞ぐ大きな岩を思い浮かべる。
思考を邪魔する焦りも意識の外に追い出して、私はただ頑丈な岩戸を想像をする。
「放てーっ」
怒号とともに無数の矢がこちらに飛んでくる。
「那岐、灯ちゃん!」
黄泉平坂のど真ん中にいた私と那岐さんに向かって、水月くんが叫んだ。
矢が私たちに向かってくるのがわかったが、想像をやめずにいると光が私と那岐さんを包んだ。押し寄せてくる軍勢を覆い隠すように目の前に大きな岩が生まれ、黄泉の国への道を塞ぐ。
「た、助かった……?」
私はずるずるとその場にしゃがみ込み、手を繋いだまま那岐さんを見上げる。
那岐さんの顔にも安堵の色が滲み、私たちは汗をびっしょりかきながら、月光の下でどちらともなく笑みを浮かべた。
「桃シャーベット作る約束、叶えられそうだな」
「災難な一日だった」
陽太くんの一声に、皆は各々頷いた。
あのあと、黄泉平坂にいた私たちはみんなで一緒に鳥居を潜り、黄泉喫茶に戻ってきた。
広い店内のひとつのテーブル席に集まって、私たちは余った材料で作った桃のシャーベットを食べつつ、ぐったりとする。
「まあ、俺は黄泉喫茶の外に出たのは久々だったから、ちょっと嬉しかったけどね」
水月くんのプラス思考ぶりに「現金」と陽太くんが呆れる。
外に出られないはずの水月くんと陽太くんが黄泉平坂にいられたのはオオちゃん曰く、一時的にイザナギの魂を持つ那岐さんが黄泉の国に落ち、喫茶店が消滅したせいだろうとのことだった。
黄泉喫茶の存在はイザナギが自分たちのように死者と生者が未練を残したまま別れることのないように、と作ったものらしい。
なので、その魂を持つ那岐さんがいなくなれば、この喫茶店も形を保っていられなくなる。
つまり、喫茶店の掟――共食をすれば喫茶店から出られなくなるという決まりも一時的に破棄された状態だったらしい。
「僕は役に立ったであろう!?」
オオちゃんは拳を握り、褒めてとばかりにみんなの顔を見て回るが、陽太くんが「桃を実らせただけじゃん」とまたもや切り捨てる。
それに喧嘩が始まったのは言うまでもないので割愛するが、私は改めてみんなの顔を見渡した。
「水月くん、陽太くん、オオちゃん、それから……那岐さん。不可抗力とはいえ黄泉の国までついてきてくれて、ありがとう」
黄泉の国に落ちていく私を自分の身を顧みず助けてくれた彼らには感謝しかない。
巻き込まれたと私を責めることなく、こうして仲間に入れてくれる。彼らの存在を友達、家族、どんな関係で呼ぶのかはわからないが、しいて言うなら私の帰る場所だ。
「またここに帰ってこられて、本当に嬉しい」
本心をありのまま伝えると、みんなの表情や雰囲気が柔らかくなるのを肌で感じる。
私の隣に座っていた那岐さんは「大げさなんだよ」とそっぽを向いて、それをニヤニヤしながら水月くんがからかう。
「僕をもっと褒めてもいいんだぞ! 灯!」
「調子に乗るなし」
陽太くんはオオちゃんを羽交い締めにしていて相変わらず騒がしいけれど、賑やかなこの黄泉喫茶のみんなが好きだ。
***
ここは亡くなった人との思い出の料理を食べると、一度だけその人に会える喫茶店。
多くの再会と別れを繰り返す、黄泉喫茶。
人は一生のうちに数え切れないほどの別れと出会いを経験する。だからいつか、ここにいる大事な人たちの誰かと別れる日がくるのかもしれない。
それでも、私は彼らと出会ったことを後悔はしないだろう。
こうして、過ごした時間を忘れはしないだろう。
別れが次なる出会いに繋がると信じて、彼らとの今を心に焼きつけよう。
私は妹との別れから生まれた新しい出会い――彼らとの日常を眺めながら、そう胸に決めたのだった。
END