『黄泉の国の軍勢を外に出してはならない。すなまい、イザナミ――』


 絞り出すような声で妻の名を呼んだイザナギは巨大な岩を見つけると、それで再び黄泉の国の入り口を塞いだ。


『こんな仕打ち……なぜ、なぜ……っ』


 目の前の岩を叩くイザナミの目からは涙がこぼれ、拳からは血が流れる。


『イザナギ、あなたの国の人間を一日千人殺すわ』


 狂ったイザナミの恨み言に対し、イザナギは悲しげに告げる。


『ならば、我は産屋を立て、一日千五百の子を産ませよう』

***

 記憶はここで途切れた。
 愛が生まれてから終わるまでを見届けた私は、再び沼の中でイザナミと相対する。

 
彼女は最初に見た美しい姿ではなく、落ち窪んだ目に身体の至るところが腐ってウジがわき、右肩からは雷神の顔がボコボコと八体も出ている死者の外見に変わっていた。


 恐ろしいと取り乱すところのはずなのに、彼女が狂うほどイザナギを愛していたのを知ったからか、怒涛のように押し寄せてくる切なさに涙が目に滲む。


 そもそも水の中にいるというのに泣けるはずがないのだが、涙の雫が瞬きとともに宙へ浮くのが見える。

 そういえば長い時間、沼の中にいる気がする。けれども苦しさを感じないので、もしかして私は死んでしまったのだろうか。