『思い出せ、私を愛しいといいながら突き放した……あの男への憎しみを』


 怒涛のように流れ込んでくる失望と裏切りへのとてつもない絶望感。身を切り裂かれるような痛みと自分が狂っていく感覚に混じって、『イザナミ』と呼ぶ憎くも愛しい声。

 ほとんど直感的に目の前にいるのはイザナミ――私の前世の魂であると理解した。その瞬間、私の意識に靄がかかる。


「思い、出せ……」


 口が勝手に言葉を話し、私は起き上がると寝間着である着物のまま玄関に向かう。私の意志と反して引き戸を開けると、靴も履かずに町の中を進んでいった。

 私はどこに向かっているんだろう。

 その疑問の答えは少しして、民家の壁に掲げられている【黄泉の国への入り口 黄泉比良坂】と書かれた看板で判明する。

 もしかして、黄泉平坂に向かってるの?

 嫌に心臓が騒ぐのは、昼間の沼での出来事だ。
 まさか、と恐ろしい予感を抱きながら、動かされている私の身体が辿り着いた先にあったのは――。

 暗い底なしの闇のような、あの沼だった。
 踏ん張りたくても、足はどんどん沼と地上の境である縁へと向かう。つま先が沼のほうへ出ると私は空を飛ぶみたいに両手を広げて、そのままジャボンッと沼に落ちてしまった。