ふいに頭の中に『――こんの、バカが!』という切羽詰まった声と熱い抱擁が蘇って、私は那岐さんを見上げる。

 その横顔はどこか思い詰めているようで、私は「那岐さん?」と名前を呼んだ。


 けれども、那岐さんはお味噌汁の水面に視線を落としたまま微動だにせず、さすがの皆も心配そうに顔を見合わせている。

 私はもう一度、今度はもう少し大きな声で「那岐さん!」と名前を呼んだ。

 ようやく那岐さんはハッと目を見開いて私を振り向き、「なんだよ」と不愛想かつ不機嫌に返事をした。


「……それは私のセリフですよ。ぼーっとして、悩み事ですか?」

「たとえ悩み事があったとしても、お前にだけは話さねえ」

「……恩を倍の仇で返す人と出会ったのは、那岐さんが初めてです」

「そんなことより、お前はあの沼の底が深かったって言ったな」

 自分から喧嘩を吹っかけてきたのに〝そんなことより〟のひと言で勝手に沈火した彼はなんの脈絡もない問いで、またもや私の頭を混乱させてくる。