「っ!」

ハッと目を覚まして視界に入ったのは……

「…ち…はる……?」

どうして…?ここで…?
そこは高校の準備室で、少し不安げな顔をする千春と呆然と立ち尽くす“私”がいた。

『…嘘…だよね…?桜にも、何か理由があったんだよね?』

この…記憶は…?

『私…いじめって良くないと思ってるけど…もしかしたら桜には…何か理由があって…』

いじめ…?

『どうして…何も言ってくれないの…?それとも、佐々木さんが言ってたこと、全部本当なの…?』

佐々木さん…?

「うっ…!」

今度は、胃がキリキリと痛み始め、強い吐き気に襲われる。

嫌だ…嫌だ…思い出したくない…!

無意識に拒んでいた自分に、私はハッと我に返った。

『桜が親友の好きな人とって、その子をいじめてたって!』
「っ…」
『過去のこと…何も知らない私が口挟むことじゃないけど…それはあんまりだと思った…。』

ポロポロと涙を流す彼女は、私を見て言った。

『正直…桜とは友達ではいられない…。』
「……。」

それでも何も言わない私に、彼女はますます涙を流す。

『……最低…』

それだけ言うと、千春は準備室から出ていってしまった。

「ち…はる…。」

崩れ落ちるようにその場に座り込んで、私は床を見つめた。

「どうして…私は何も言わないの…?」

かつて、私と同じ中学校だった佐々木麗子は、同じ高校にいたんだ。

もういじめられない。もうなにもされない。
そう思っていたのに…。

そうだ…。
高校2年生になって、私は千春とクラスが離れ、千春は彼女とクラスが一緒になって……。

「…うっ…」

変な噂を流されたんだ…!

「何…で…」

どうして…?

「こんな目に遭うの…?」

ズキンズキンと、頭の痛みがまた再開した。

そしてその瞬間、強い光が放ったのと同時に、私はその光に包まれていく。



『どうするの…?』

聞き慣れた声に、私はハッと我に返る。

『いい加減答えなさい…!』

声を張り上げるその人物を、私はよく知っている。

「おか…さん…。」

椅子に座る“私”は、うつむいて何も答えない。

『どうして…あなたはいつもなにも言わないの…?そうやってずっと黙って…。あなたには意思がないの?それを伝える言葉はないの?声はないの…?!』

どうして…怒っているの…?

訳が、分からなかった。母こそが、何も言わない人だった。
小さい頃に父と離婚してから、仕事に明け暮れる毎日を送っていた母は、昔からあなたの好きなように生きなさいと、そう言って私を見ようとしない人だった。

だから私の進路だって、母は私に何を言うわけでもなく、先生に委ねたのだ。

なのに…なぜ、お母さんはこんなにも声を荒げているの?

なんで…?なんで…?



『ごめん…。』

今度は後ろから、拓真くんの声が聞こえて私は振り返る。

「…っ…」

そこはもう場面が変わっていて、学校の校舎の裏だった。

『ほんとに…ごめん…!』

なにが…?
そう言いたいのに、言葉が出てこなかった。

それだけ言って、拓真くんは走って行ってしまう。

その背中に無意識に手を伸ばすが、その瞬間に視界が歪むと、また真っ暗な世界に引き戻される。

なにが…?
なにが起きているの…?

千春に嫌われてから、私はなにがあった?
駅のホームで静香と翔くんを見てから、拓真くんの部屋に行った私はどうなった…?
どうして怒鳴った事のない母があんなにも声を荒げていたの…?
どうして拓真くんはあんなに謝っていたの…?

分からない…。
分からない…。
私は……誰を殺したの…?



「タイムアップです。」

「っ!」

ハッと我に返ると、オモチャだらけの部屋に翼が立っていた。

「答えを、お聞かせ下さい。」
「こた…え…?」
「…どうやら、ゲームオーバーのようですね…。」
「ゲーム…オーバー…」

私がそう呟くと、翼はどこから持ってきたのか、包丁を取り出した。

そしてそれを私に向けると、小さく呟いた。

「一緒に…死んでくれる…?」

「え…」

翼の問い掛けに、私の思考が停止した。
そしてカチッという音がなったのと同時に、私が拒んでいた“記憶たち”が再生されていく。



『おめでとうございます。妊娠していますね。』

『…にん…しん…?』

『はい。3ヶ月です。』


ニッコリと微笑む医師の言葉に、私は視界が真っ暗になるのを感じた。



『にん…しん…ですって…?』
『……。』
『子供が…?子供を産むの…?』

目の前の母は信じられないとでも言うように笑った。

『あなた…何言ってるの…?』
『……。』
『相手は?!まさか同級生だなんて言わないでしょうねぇ?!』
『……。』

何も言わない私に、母は大きなため息をつくと頭を抱えた。

『どうするの…?』
『……。』
『いい加減答えなさい…!』

声を荒げて、母は机をバンッと叩いた。

『どうして…あなたはいつもなにも言わないの…?そうやってずっと黙って…。あなたには意思がないの?それを伝える言葉はないの?声はないの…?!』
『………。』
『もういい……。』

そう言って、母は立ち上がると私に背を向けてリビングを出ていってしまった。
遠くの方で、玄関の扉を開ける音が聞こえて、すぐにバタンッと閉まってしまった。

1人取り残された私は、どうすることも出来ずにずっと一点を見つめていた。



『…妊娠…したの…?』

拓真くんの問い掛けに、私はコクンと頷いた。

『嘘…でしょ…?あの日の夜ってこと…?』

もう一度頷いた。

『……っ……。』

目の前の彼を見れずに、私は相変わらず下を向いていた。

『ごめん…。』

『……っ…』

拓真くんの謝罪の言葉に顔を上げて彼を見つめるが、彼もまた下を向いていた。

『ほんとに…ごめん…!』

そう言って私の横を通りすぎて、拓真くんは走って行ってしまった。

呆然と、私は立ち尽くす。

『……。』

あれ…?なんで…?行っちゃったの…?

振り返って、拓真くんが走って行った方を見つめる。

『たくま…くん…?』

私は彼に、何を期待していた?
私の味方になってくれるって?
結局、裏切られるのに?
馬鹿みたいに流されて、あの時の言葉を信じて、私は何をしてしまったんだろうか?

生きてほしい?守る?
そんな言葉、全部嘘だったのに?

『あれ…。どうしたら…いいんだろう…?』

真っ白になっていく頭の中に、1つ2つと疑問が生まれていく。

どうして…こうなったの…?
誰がいけなかった?なにがいけなかった?

あの日拓真くんと体を繋げなければ良かった?
あの日駅で静香と翔くんを見掛けなければ良かった?
拓真くんが近付いてきたことを翔くんに言えば良かった?
千春に全部打ち明けて、相談すれば良かった?
高校の進路を、きちんと自分で決めれば良かった?
いじめられたとき、ちゃんと本当のことを話せば良かった?

それとも…
そもそも、あの日のダブルデートの日を断れば、すべてが壊れずに済んだ…?

拓真くんとも、静香とも、翔くんとも、千春とだって…すべてが壊れずに済んだのかもしれないのに…。
何かが変わったかもしれない…。

『変わった…?ほんとに…?』

そもそも私が生まれなきゃ、こんな辛い思いしなかったんじゃないの…?

そうか…そうか…。
全部消してしまおう。
そうすれば、もう傷付かなくて済むんだ。

スッと立ち上がって、私は駆け出した。



家の扉を開けて、靴も脱がずに私は廊下を歩いて行く。

そっとリビングの扉を開けて、台所へと歩みを進める。

『あった。』

食器かごの中に入ったままでいたそれを取って、私は自分の部屋へ向かう。


バタンッと扉を閉めて、カチャッと鍵を回した。

扉に背をくつけると、私はそのまま崩れるように座りこんだ。

『…そうだ…。あっちに行ったら、たくさんオモチャ買ってあげるね。』

まだ膨らんでもいないお腹をさすりながら、そう呟く。

『オモチャだらけの部屋に、2人だけで居ようか?その方が幸せかな…?』

ツーッと、頬に冷たい雫が伝っていく。

『はは…怖いね…。死ぬってどんな感じだろう…?』

そっと包丁の刃を自分の方へ向けて、柄の部分を両手で握り締める。

『一緒に…死んでくれる…?』

そんな私の問い掛けに、誰が返事をするわけでもなく。
私はボロボロと涙を溢しながら、勢いよく包丁を振り上げたのだった。



「……っ…」

スッと力が抜けて、私はその場に崩れ落ちた。

「ごめん…ごめんなさい…!ごめんなさい…!」

頬を何度も伝う涙が真っ暗な世界の中に消えていく。

最後に流れた記憶は、私が本当に心から消して欲しかった記憶だ。

泣き崩れる私のそばに近付くと、翼はそっと呟いた。

「……最後に、聞きましょうか…。あなたは、誰を殺しましたか…。」

その問い掛けに、私はゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れる視界の中で、翼と目が合うのがわかった。

私が…私があの時殺したのは……


「お腹の中にいた…赤ちゃんだ…!」

シーンと静寂の中に、私の声だけが響き渡る。

何の感情もない瞳で私を見つめる翼は、しばらくしてゆっくりと口を開いて、


「正解です。」

そう呟いたのだった。

「思い出したいと、思ってくれたんですね。」

そう言って、今までで1番優しい笑みを浮かべていた。

「うん…。」

「でも…」

スッと、先程の笑みを消し去ると、今度は悲しそうに笑って続けた。

「あなたは生きたいですか…?死にたいですか…?例え殺す前に戻っても、今までの事は変わらない。
あなたが関わってきた人たちの関係はそのまま。
味方などいない世界で、あなたはもう一度やり直せますか?」

そんな翼の言葉に、私はゴシゴシと目元を擦ると、自分なりに優しく笑って見せた。

「…今さら、なに言ってるの?生きてほしいって言ったのは、翼じゃない。
私、自分しか生き残らなかったあと、後悔した。私は誰からも必要とされなかったかもしれないけど、私はあの子を必要としてたんだって。
たくさん辛いことあって、酷いこといっぱいされたけど、1番酷いことをしたのは私なんだって…」

「………。」

「私、前に進めてるよね?」

私がそう問い掛ければ、翼は唇を噛み締めて頷いた。

「良かった。でも、翼の言葉があったから、そう思えるんだ。
翼が生きてほしいって言ってくれたから…。
私は生きたいって思ったんだよ。」

「…心から、そう思ってる…。」

そう言って笑う翼の顔は、どこか誰かの笑顔と重なった。

そこでハッとする。

「……翼って…」

「東條桜さん。」

私の言葉を遮るように、翼が私の名を口にした。

「このゲーム、あなたの勝ちです。約束通り、あなたがその人を殺す前の時間に戻します。」

その言葉と共に、パアッと私の体が光に包まれていく。

「っ!」

「どうかこれからは、自分を大切にしてください。」

ニッコリと微笑む翼の姿が光に覆われ見えなくなっていく。

「ま、待って!私あなたに聞きたいことが…」

そう叫んだ時だった。



「僕を存在させてくれてありがとう。お母さん。」

「っ!」

その言葉を最後に、私は意識を手放したのだった。



「っ!」

パッと目を開けると、視界に入ってきたのは見慣れない白い天井だった。

「ここ…は…」

ゆっくりと体を起こして辺りを見渡せば、そこはどうやら病室のようだった。

「なんで…病院に…?」

特に体の痛みは感じられず、自殺はしていないのだと確信した。

「けど戻るとしたら、私の部屋の中じゃ…」

そう口にした時だった。
ガタッ!

「っ!?」

すぐ近くでそんな音が聞こえて、私は肩を震わせた。

「と…じょ…」

そんな声が聞こえて視線を向ければ、そこにいた人物に目を見開いた。

「拓真くん…」

そこには左頬に湿布、頭に包帯を巻いた拓真くんが目を見開いて立っていた。

「じゃなくて!どうしたのその怪我!何かあ」

「東條!」

「?!」

タッとこちらに向かってきた拓真くんは、優しく、それでも力強く私を抱き締めた。

「た、拓真くっ」

「良かった…。家の前で倒れてるの見つけて本当に焦って…」

そう呟く拓真くんの声は震えていた。

「ごめん!追い詰めて…!妊娠させて…!」

「っ…」

涙まじりのその声に、私は深く息をのんだ。

「俺…あの日嘘ついた…。」

「え…」

嘘…?
あの日がいつかわからずに固まっていると、拓真くんはそのまま言葉を続けた。

「駅のホームのとこで…。翔が東條を裏切ったみたいに言ったけど、違うんだ!
あの時は付き合ってなかったけど、確かに今はよりを戻した…。けど、東條のこと裏切ったんじゃない!柊はあれからずっと翔に謝りに行ってた。東條に会わせて欲しいって。中学卒業する前から!」

「っ…」

静香が…?

「それから毎日翔のところに行って頭を下げてた。それで最近になってやっと、翔が柊を許したんだ…。あの時駅で見かけたアイツらは、仲直りした時だった。
それが分かってたのに…俺東條に嘘ついて…部屋にまで連れ込んであんなこと…!」

そっと私を離した拓真くんの瞳は、涙で濡れていた。

「東條が俺の事嫌いな事わかってる。けど…誰にも渡したくなくて…。自分が異常な事はわかってるのに…」

「拓真くん…。」

「近付くなって言われたら一生近付かない!だけど責任とらせてほしい。
俺、東條に妊娠したって言われた後、すぐに学校辞めてきた。」

「え?」

「働こうと思って…。これから東條にかかるお金は全部、俺に払わせてほしい。
一応、東條のお母さんにも許可は貰ったけど…。」

お母さんの所にまで行ったの…?
そこで私はハッとする。

「もしかしてその怪我…」
「あ!いや…頭の方は、俺の親父だから大丈夫!てゆうか、殴られるのは当たり前だから…。」
「当たり前って…。拓真くんのせいだけじゃない。私も合意だったんだから、私にも責任がある。」

「え…」

「確かに、あの時裏切られたんだってショック受けて拓真くんの部屋に行った。けど、ショックだったからって私は嫌いな相手と体なんか重ねないし、ましてやそれが好きな人以外なんてあり得ない。」

「どうゆう…事…?」

訳が分からないという様な表情を浮かべる拓真くんに、私はクスッと笑って見せた。

「そんな異常なあなたが、好きだって事だよ。」

「っ?!」

「ずっと悪者にしようとしてたのに…やっぱり好きなんだよ…。」

今度は私から拓真くんに抱き付く。

「私とこの子を、一生養って下さい…。」

「っ…。うん!ずっと、守るから!」

ギュッと力強く拓真くんは私を抱き締め返すと、そっと体を離して嬉しそうに笑った。
その笑顔は、やっぱり翼の笑顔と重なって…

「きっとあなたの笑顔によく似た、優しい男の子が生まれるよ。」

「…うん…!」

必ず、存在させてみせるから。

そう思いながら、私は優しく自分のお腹を撫でたのだった。


そんな私達の会話を、病室の前で千春と翔くん、そして静香が聞いていた事を知るのは、もう少し後の話。



END



記憶の欠片

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