これは…
目の前の光景に目を疑う。
あの日から、静香は私に話し掛けようともしなかったのに。
今目の前にいる静香は、机に突っ伏している私に声を掛けている。
「なんで…?」
そんなことができるの?
『ごめんね、桜。』
ずっとそう呟く静香は、泣くのを我慢しながら“私”を見つめ続ける。
周りにいる佐々木さんたちは、その光景を面白がって笑いながら見ていて、拓真くんは心配な表情で“私”を見ている。
これ…休み時間だ…。
静香は休み時間の度に“私”のところに来て、ずっと謝罪していたんだ…。
また思い起こされた記憶に、なぜだか胸がドクンと脈打った。
そしてチャイムが鳴ると、戻るねと言って、静香は自分の席へと戻っていった。
これは何時の過去なの…?
ふとそんなことを思ってカレンダーを探している間に、黒板に書かれた日付に、ああそうだったと思う。
1月15日。
卒業式までちょうど2ヶ月を切ったところまでいっているのに、この時の私はまだ高校が決まっていなかった。
フッと変わった場面には、準備室にたたずむ“私”と、担任の西山文和先生がいた。
そうだ。放課後は、いつも西山先生に呼び出されて、どうするんだと怒られていたんだ。
そんな西山先生に、私はずっと口を閉ざしたままでいて。
何も言わない私に、西山先生はただ“おかしくなった”としか思わず、キツい言葉をいつもぶつけられていたんだっけ…。
“やる気がないならやめなさい。”
“他の生徒は決まっているのにどうしてお前だけはそうグレているんだ。”
“真面目だと思っていたのに幻滅だ。”
西山先生は何も知らない。
いや、何も知らないふりをしていたのかもしれない。
“自分のクラスにいじめなどあってはいけない”と、うちのクラスに就任した時にそう言っていた。
だからこそ、西山先生はいじめを止めることをやらずに、隠すことに専念したのかもしれない。
止めることをやろうとしていたなら、ずぶ濡れの私を見て、“遊んでるんじゃない”なんて、
怪我をしている私を見て、“お前は好奇心が旺盛だから怪我をするんだ”
なんて言わないはずだ。
思い起こされた過去の記憶に、その時は気が付かなかった普通ではあり得ないその言葉に、私は絶句した。
「そっか…。先生も結局見てみぬふりしてたんだっけ…。」
なんだか馬鹿らしくなって、私はクスッと笑いながら、怒られている“私”を見つめる。
すると、西山先生は1つの資料を“私”に差し出した。
『もうここに行きなさい。ここの高校ならお前は確実に入れる。自分で決められないなら先生が決める。
親御さんも呆れてるんだから、いい加減しっかりしなさい。』
そう言って資料を机の上に置くと、西山先生は準備室から出ていってしまった。
これで高校決まったんだ…。
信じられないと思うのに、決めてしまった自分に負い目を感じて、そんな思いを振り払った。
すると、すぐにまた場面が変わって、今度は図書室の机で突っ伏している“私”の姿があった。
そっか…。
放課後も静香に付きまとわれるようになって、図書室に逃げてたんだ…。
ハッと思い出したのと同時に、ガラッと普段は開くことのない図書室の扉が開いた。
「…っ…」
もしかして…静香…
と思っていたが、現れたのは静香ではなかった。
扉が開く音が聞こえて目を覚ましたのか、“私”は顔を上げて、机を挟んだ反対側に立つ人物に肩を震わせた。
『翔くん……。』
そこには翔くんがいて、少し困ったような表情を見せると深々と“私”に頭を下げた。
『ごめん。』
『え…』
『気が付かなくてごめん。』
なんで…あなたが謝るの…?
今の私と同じ思いをしたのか、目の前の“私”が慌てた様子で立ち上がった。
『なんで翔くんが謝るの!なにも悪いことなんか』
『助けられなかった。』
その言葉が、深く胸の奥に突き刺さる。
ゆっくりと顔を上げた翔くんは、真っ直ぐに“私”の方へ視線を向けると、言葉を続けた。
『あれから、俺は静香とも、拓真とも…東條とも関わらなかった。見ないようにしていた。
あの日のことを思い出すから。』
グッと唇を噛み締めて、けれどすぐに翔くんは口を開いた。
『本当に、静香のことが好きだった…。だからこそ、あの日の出来事を思い出したくなかった。
本気で好きだった自分が馬鹿らしいと思うようになったから。
もう自分が傷付きたくないと思ったから…。
でも、それは間違いだった。
俺以上に、東條は傷付いていた。』
『………』
黙ったまま、静かに“私”は首を横にふった。
『聞いたよ。と言っても…たまたま廊下歩いてた時に佐々木と宮澤の会話聞いちゃっただけなんだけど…。』
『っ!』
肩を震わせた“私”に、翔くんは優しく微笑んだ。
『自殺するまでに…追い込まれてたんだろ…?静香が嘘をついて、東條が俺をとったみたいになって…。
あの2人は静香が全部悪いみたいな言い方してたけど、いじめの主犯各は静香とあの2人なんだろ?
思わず“お前らも同罪だろ”って怒鳴っちゃったけど。どっかに逃げていったってことは、恐らくは図星なんだろうな。』
小さくため息をついて、翔くんはうつむいた。
『気付かなかったって言うか…気付こうとしなかった俺も同罪だ。』
『違う!翔くんは悪くないし…、私が…私が否定しなかったから、大事になっちゃって…』
目の前でそう言った“私”の言葉が、胸に刺さる。
確かにそうだ。
否定しても無駄だったかもしれないけど、否定しなければこんなにならずに済んだ…。
もう修復など絶対に不可能なこの状況が、それを物語っている。
『東條は、優しいのな…。そうやって他人は悪くないって。
けどそれがどれだけ自分を責めてんのか気付いてる?』
『…っ…』
ドクンと、胸が嫌な音を立てて脈打つ。
何も言わない“私”に、翔くんは先程よりも大きなため息をつくと、あー!っと声を上げた。
『っ!』
『もう、知らない!俺も悪くない!東條も悪くない!悪いの全部あいつら!』
そう言い切ったのと同時に、翔くんはスタスタと“私”の近くまで歩いていく。
そしてガッと“私”の左肩を掴んで、また泣きそうな表情を浮かべながらも、ニカッと笑った。
『俺たち被害者だ。被害者友達の俺に何も言わないのは水くさいな。』
『っ…』
ポロっと、“私”の瞳から涙がこぼれ落ちた。
『1人で傷付くなよ。一緒に傷付こう。1人で泣くな。一緒に泣こう。
もう、東條は1人じゃないから。』
その言葉、スッと傷付いた“私”の心に染み込んでいった。
『ごめ…なさっ…。ありがと……。ありがとう…!』
泣き崩れながら、何度も謝罪と感謝の言葉を繰り返す“私”の頭を、翔くんはそっと撫でていた。
そんな翔くんもまた、一粒、二粒と雫を落とし始めたのだった。