『東條。』

机に突っ伏している“私”に、拓真くんは明るい声音で声をかけている。

場面が変わった…。これは確か…

『花井くん誰に声かけてるの?そんな空席にさぁ。』

そう言ってゲラゲラ笑う宮澤さんに、拓真くんは視線を“私”に向けたまま呟いた。

『東條だよ。東條桜。俺の好きな人。』

その言葉に、クスクスとざわついていた教室内がシーンと静まり返った。

相変わらず“私”は机に突っ伏したまま。

『は?花井くんって東條さんのこと好きなの?ヤバッ。あり得ないんだけど。』

なにが可笑しいのか、今度は佐々木さんが笑い始め、次いで周りにいたクラスメートたちにも連動していく。

そんな彼女たちにお構いなしで、拓真くんは言葉を続けた。

『ずっと好きだったよ。でも告白する資格なんて俺にはない。こうやって話しかける資格もない。けど助けたい。なにも悪いことをしていない彼女が傷つけられるのを見てみぬふりをし続けるのは、もう駄目だ。』

真剣な眼差しを向けたまま、彼はその視線を佐々木さんと宮澤さんに向け始めた。

『彼女は悪くない。悪いのは全部俺だ。…なぁ、そうだよな?柊。』

その名を呟いた時、佐々木さんの影に隠れていた静香と、突っ伏したままの“私”が肩を震わせた。
名前を呼ばれた静香の方に、皆の視線が集まる。

『え?なに?どうゆうこと?花井くんも関係してたの?』

訳がわからないという様に佐々木さんが言うと、拓真くんは静かに頷いた。

『俺が柊のキスをもっとちゃんと拒んでいれば、東條はこんなことになっていなかった。』

衝撃の事実に、先程まで吠えていた佐々木さんも宮澤さんも言葉を失っている様だった。

『ちょっ!ちょっと待って!東條さんが翔くんを奪ったんでしょ?静香が花井くんにキスしたってなに?!』

慌てたように言う宮澤さんに、拓真くんは首を横に振った。

『東條はそんなことしてない。ただ巻き込まれただけ。』

『は?なにそれ?どうゆうことなの?静香。』

今度は静香へと視線を向けた宮澤さんに、静香は涙を溢し始める。

『違う!私そんなことしてない。なんで拓真くんそんなこと』
『お前は何も思わないの?』
『っ…』

今までに聞いたことがないくらいに冷たい声を出した拓真くんに、その場にいた全員が凍り付いた。

『よく平気な顔して嘘をつき続けられるな。胸が痛んだりしないわけ?
何も言わない東條に笑ってんじゃねーの?
これいつまで続くの?自殺するまで追い込まれてる東條に、お前は何も思わないの?』

『自殺…?』
『なに?嘘?東條さん自殺しようとしたの?』

ざわざわと騒ぎ始める教室内。
そんな私の行動を予測していなかったのか、静香は言葉を失っていた。

『もうやめよう。』

その言葉と共に、静香はその場に崩れ落ちていった。
そんな静香にこれが事実なのだと知ったクラスメートは、突っ伏している“私”に視線を注ぎ始める。

そして…

『静香って最低!』

佐々木さんのそんな言葉に、クラス全員が一致団結したかのように彼女を敵視し始める。

『可哀想!東條さん!』
『ほんとだよ。自殺まで追い込まれるなんて。』

まるで今までのことがなかったかのように、今度は“私”の味方だと言わんばかりにそんな言葉が飛び交う。

『大丈夫?東條さん?』

心配そうに“私”に近付く宮澤さん。
すぐに佐々木さんも近付いてくる。

そんな彼女たちに“私”は何も言わずに立ち上がると、拓真くんを一瞥してから彼女たちの間をすり抜けて教室を出た。

そんな“私”の後ろ姿を私とクラス全員が見つめていると、急に静香が立ち上がった。


まるで瞬間移動するように場面が変わると、先程出ていった“私”が、また屋上に居て、今度は飛び降りようとすることなく体育座りをして空を見つめていた。

この時…私は何を思っていたっけ…?

事実を言ってくれた拓真くんに感謝の気持ちが湧いただろうか?
泣き崩れた静香に自業自得だと思っただろうか?
何食わぬ顔で私に近付くクラスメートたちに、偽善者だと感じたのだろうか?

けれど空を見つめる“私”は、客観的に見てまるで脱け殻のように思えた。

ああ…そうか…。
もう感情がわからなくなってしまったんだっけ?

可哀想?それこそ自業自得?
今見ている“私”が、なぜか私だとは思えなかった。

それでもズキズキと痛む胸は、確かに昔感じた、恐らくは今目の前にいる“私”が感じた胸の痛みと同じものなのだと思った。