この一週間、何度ミイを病院に連れて行っただろう。3回、4回。病院嫌いのミイは、行く度にストレスを抱えていたに違いない。私たちでさえ触るのを嫌がるような性格なのだ。まして知らないようなたくさんの人間に、検査だからと言って体を触られるのなんて嫌に決まっている。

それでも、助けたいという一心で、私たちはミイを病院に連れて行っていた。

 昨日の夕方から今日の夜にかけて。ミイは管で繋がれて息をしていた。酸素が多く取れる部屋にいれられて、点滴をしながら、ミイは苦しそうに生きていた。ほんの一週間前まで自由に動いていた体はヘタリと横たわる事しか出来なくなっていて、もう自分でトイレに行くこともご飯を食べることもできなかった。

弱るのは一瞬なのだ。命が消えていくのはほんの一瞬のことだった。


 管で繋がれて生きていた一日と、私達家族と過ごした数時間だったら、ミイにとってどちらが幸せだったのだろう。


確かに、ミイの時間は伸びたのかもしれない。酸素と水と栄養を与えられて、小さな部屋にしまわれながら、ミイの時間は一日延びたのかもしれない。

けれど、ミイはその間ずっと独りだったのだ。

 いつも母の後ろを追っていた。母だけは触っても嫌がらなかった。そんな大好きな母にも会えず、たった独りで小さな部屋にいれられていた。生きるために。息をするために。私たちの、生きてほしいという勝手なエゴで。