それから白木さんや穂高の天体話に耳を傾けつつ、ほかの星もたくさん見せてもらった。気づけば宮脇さんと約束した二時間はあっという間だ。
「今日は、本当にありがとうございました」
私と穂高は白木さんにお礼を告げる。白木さんは終始穏やかな表情だ。だからあまり緊張せずに私はさらっと尋ねてみた。
「白木さんは、どうしてこちらにいらっしゃるんですか?」
私の質問に白木さんは目を白黒させると、やっぱり優しく微笑んだ。
「ここはね、亡くなった妻との思い出の場所なんだよ。妻とは社会人になってから星好きの集まりみたいなものを通して知り合ってね。ふたりでよく星を見た」
白木さんはなにかを思い出すように目を閉じる。
「だから最期はここで迎えたいと思ってね。宇宙や星好きの妻のことだ。いざ地球に月が落ちてくるとなったら、見逃せないと思ってきっと会いに来てくれるだろうから」
穂高が似たような話をしていたのを思い出す。質問しておきながら私はなんて返せばいいのか言葉が見つからない。
ただ、白木さんの奥さんに対する想いはしっかりと伝わってきた。夫婦の形も親子の形もきっと十人十色でそれぞれの絆があるんだ。
穂高が一歩前に出る。
「白木さん、今日はありがとうございました。また」
右手を白木さんに差し出すと、白木さんも力強く穂高の手を握った。
「こちらこそ。穂高くんも体を大事にね」
ふたりの手が離れると、白木さんは今度は私に向き合った。
「お嬢さんもありがとう。よかったらまたおいで」
差し出される白木さんの手を私も握る。穂高の手より小さくて皺もある。けれど同じように温かい。
「はい、また」
応えるように指先に力を込めた。全員、次はないかもしれないってわかっている。これが最後かもしれないって。
でも「また」という言葉には希望が宿っていた。口にして音となり耳に届くと、本当に叶いそうな気がする。暗闇の世界にわずかな光を灯した。
外に出ると、山の上というのもあってわりと涼しい。剥き出しになっている腕を無意識に摩り辺りを見渡してみたが宮脇さんはまだ来ていなかった。
「穂高、今日はありがとう」
唐突に、でも言わずにはいられない。たくさん、一言では表せられないほど彼には感謝の気持ちでいっぱいだ。
「どういたしまして。俺も楽しかったよ。ほのかとこんなふうに過ごせるなんて夢にも思っていなかったから」
相変わらずストレートな彼の言葉に私は反応に困ってしまった。わざとらしくうしろで手を組み、一度空を見上げる。
「ねぇ、なんで日本語や現国が苦手だって嘘ついたの?」
「嘘?」
突拍子もない質問に穂高はおうむ返しをする。私は軽く頷いた。
「うん。勉強を教えているときからずっと思っていたんだけどね。今日も日本語に困る素振りはまったくないし、むしろすごく上手だし。さらには宮沢賢治の銀河鉄道の夜まで読んでるんだもん」
薄々と勘付いていたものが、今日彼と一緒に過ごしたおかげで確信に変わり、思い切って聞いてみる。
私がなにかを教えるほど、彼は現国の成績が悪いわけでも、日本語を理解できずに困っているふうでもなかった。穂高は否定せずに、困惑気味に眉尻を下げている。
「そう、だね。両親が日本人だし、本をたくさん読む人だったから。アメリカでいたときも日本語の補習校にはずっと通っていたんだ」
「だったら、なんでわざわざ私に勉強を教えてほしい、なんて言ってきたの?」
「なんでだと思う?」
穂高は打って変わって意地悪い笑みを浮かべた。質問に質問で返すのはどうなんだろう。
だって、あれこれ理由を考えてみるけれど、自分の都合のいい思いつかない。
自惚れでなければもしかすると穂高は――。
「俺はクドリャフカになりたいんだ」
いきなり、彼が不意打ちのように言ったので、私の思考は一瞬停止する。聞き慣れない単語なのでうまく拾えなかった。頭を切り替えてあれこれ考える。
「俺さ、クドリャフカになりたかったんだ」
今度は過去形で念を押される。力強くはっきりと言葉にしてくれたおかげで、ようやく単語として聞き取れた。
けれど、それがなんなのかはまったく見当がつかない。彼はたしか、宇宙に行きたいと言っていたような気がするけれど関係あるのかな?
なんだか素直に尋ねるのが癪で私は別の角度から質問を投げかけてみる。
「それって、どれくらいの確率でなれるの?」
彼は私と目を合わせると、笑顔を作った。外が暗いからという理由だけじゃない。
悲しいのか、楽しいのか、嬉しいのか、寂しいのか。彼の感情の奥底にある本音を読み解くのはいつも難しい。
じっと見つめると、穂高の形のいい唇が動く。
「地球が助かる確率と同じくらいだよ」
大きく目を開いて言葉を失っていると、豪快な音と共に車のヘッドライトが視界に映る。宮脇さんが約束の時間よりやや遅れて私たちを迎えに来た。
おかげで私は彼になにも返すことなく、話はそこで終わってしまった。
「今日は、本当にありがとうございました」
私と穂高は白木さんにお礼を告げる。白木さんは終始穏やかな表情だ。だからあまり緊張せずに私はさらっと尋ねてみた。
「白木さんは、どうしてこちらにいらっしゃるんですか?」
私の質問に白木さんは目を白黒させると、やっぱり優しく微笑んだ。
「ここはね、亡くなった妻との思い出の場所なんだよ。妻とは社会人になってから星好きの集まりみたいなものを通して知り合ってね。ふたりでよく星を見た」
白木さんはなにかを思い出すように目を閉じる。
「だから最期はここで迎えたいと思ってね。宇宙や星好きの妻のことだ。いざ地球に月が落ちてくるとなったら、見逃せないと思ってきっと会いに来てくれるだろうから」
穂高が似たような話をしていたのを思い出す。質問しておきながら私はなんて返せばいいのか言葉が見つからない。
ただ、白木さんの奥さんに対する想いはしっかりと伝わってきた。夫婦の形も親子の形もきっと十人十色でそれぞれの絆があるんだ。
穂高が一歩前に出る。
「白木さん、今日はありがとうございました。また」
右手を白木さんに差し出すと、白木さんも力強く穂高の手を握った。
「こちらこそ。穂高くんも体を大事にね」
ふたりの手が離れると、白木さんは今度は私に向き合った。
「お嬢さんもありがとう。よかったらまたおいで」
差し出される白木さんの手を私も握る。穂高の手より小さくて皺もある。けれど同じように温かい。
「はい、また」
応えるように指先に力を込めた。全員、次はないかもしれないってわかっている。これが最後かもしれないって。
でも「また」という言葉には希望が宿っていた。口にして音となり耳に届くと、本当に叶いそうな気がする。暗闇の世界にわずかな光を灯した。
外に出ると、山の上というのもあってわりと涼しい。剥き出しになっている腕を無意識に摩り辺りを見渡してみたが宮脇さんはまだ来ていなかった。
「穂高、今日はありがとう」
唐突に、でも言わずにはいられない。たくさん、一言では表せられないほど彼には感謝の気持ちでいっぱいだ。
「どういたしまして。俺も楽しかったよ。ほのかとこんなふうに過ごせるなんて夢にも思っていなかったから」
相変わらずストレートな彼の言葉に私は反応に困ってしまった。わざとらしくうしろで手を組み、一度空を見上げる。
「ねぇ、なんで日本語や現国が苦手だって嘘ついたの?」
「嘘?」
突拍子もない質問に穂高はおうむ返しをする。私は軽く頷いた。
「うん。勉強を教えているときからずっと思っていたんだけどね。今日も日本語に困る素振りはまったくないし、むしろすごく上手だし。さらには宮沢賢治の銀河鉄道の夜まで読んでるんだもん」
薄々と勘付いていたものが、今日彼と一緒に過ごしたおかげで確信に変わり、思い切って聞いてみる。
私がなにかを教えるほど、彼は現国の成績が悪いわけでも、日本語を理解できずに困っているふうでもなかった。穂高は否定せずに、困惑気味に眉尻を下げている。
「そう、だね。両親が日本人だし、本をたくさん読む人だったから。アメリカでいたときも日本語の補習校にはずっと通っていたんだ」
「だったら、なんでわざわざ私に勉強を教えてほしい、なんて言ってきたの?」
「なんでだと思う?」
穂高は打って変わって意地悪い笑みを浮かべた。質問に質問で返すのはどうなんだろう。
だって、あれこれ理由を考えてみるけれど、自分の都合のいい思いつかない。
自惚れでなければもしかすると穂高は――。
「俺はクドリャフカになりたいんだ」
いきなり、彼が不意打ちのように言ったので、私の思考は一瞬停止する。聞き慣れない単語なのでうまく拾えなかった。頭を切り替えてあれこれ考える。
「俺さ、クドリャフカになりたかったんだ」
今度は過去形で念を押される。力強くはっきりと言葉にしてくれたおかげで、ようやく単語として聞き取れた。
けれど、それがなんなのかはまったく見当がつかない。彼はたしか、宇宙に行きたいと言っていたような気がするけれど関係あるのかな?
なんだか素直に尋ねるのが癪で私は別の角度から質問を投げかけてみる。
「それって、どれくらいの確率でなれるの?」
彼は私と目を合わせると、笑顔を作った。外が暗いからという理由だけじゃない。
悲しいのか、楽しいのか、嬉しいのか、寂しいのか。彼の感情の奥底にある本音を読み解くのはいつも難しい。
じっと見つめると、穂高の形のいい唇が動く。
「地球が助かる確率と同じくらいだよ」
大きく目を開いて言葉を失っていると、豪快な音と共に車のヘッドライトが視界に映る。宮脇さんが約束の時間よりやや遅れて私たちを迎えに来た。
おかげで私は彼になにも返すことなく、話はそこで終わってしまった。