「お母さん……」
詩が擦(かす)れ声で母の事を呼ぶ。
何日も声を出していなかったものだから、上手く出せないらしい。
そんな些細なこと、律も詩の母も気になどならなかった。
それくらい、再び彼女の声を聞けることに喜びを感じていたのだ。
「何……詩?」
「おなか……すいた……」
詩は自らの腹部に手を当てて訴えると、えへへ……と力なく笑ってみせた。
本当に詩らしい。
律と詩の母は思わず顔を見合わせて笑った。
「もっと他に言うことないのかよ……」
彼女のたった一言で律は気が抜けてしまい、倒れていた丸椅子を起こして再び腰かける。
「だってそう思ったんだから仕方ないじゃない」と詩は口をとがらせた。
詩と会話ができている。
律はそれだけで心が満たされる思いがした。
内容なんて何だって構わない。
小言も皮肉も悪口だって、今なら笑って聞ける自信があった。
「お母さん、ちょっとお医者さんに相談してみるわね。お父さんにも詩のこと知らせなきゃ」
詩の母は涙で腫れた目元を動かしてほんのりと笑い、病室を再び後にする。
律が彼女の笑顔を見たのは本当に久しぶりだった。