あたり一面を畑で囲まれた農道を藤沢 律(ふじさわ りつ)は自転車に乗って軽快(けいかい)に走っていく。
夏の朝の空気は日中に比べるといくらかスッキリしていて気持ちが良い。

律が向かうのは自宅から数十メートル離れたお隣さん“平川家”だ。
田舎の村ゆえにお隣さんがお隣さんではないのはよくある話。

彼は登校する前、必ずと言っていいほどこの平川家に立ち寄っていく。
これは小学校入学から現在までの日課と言っていい。
律は平川家の庭に自転車を停めて母屋へ向かった。

「おばさん、おはよう」

玄関先で声をかけると、エプロン姿の女性が「りっちゃん、おはよう」と出迎えてくれた。
幼なじみの平川 詩(ひらかわ うた)の母親だ。

「詩ったらまだ二階にいるのよ……」

詩の母はそう言って二階に続く階段を指さす。
これもお決まりだった。

「分かってる。ちょっとあがるよ」

律は玄関で靴を揃えてあがり、詩の部屋がある二階へと進む。
詩の母親も「りっちゃん、お願いね」と彼の背中を見送った。