廊下の向こう側、そこに誰かが立っていた。
その人物は走ってこっちまでやって来て、2メートル先で立ち止まる。それ以上近づいていいのかわからないというようにも見えた。
「悠真……」
その瞬間、私は悠真によって抱きしめられていた。
「橙子……橙子…………」
何度も何度も悠真はその名を呼ぶ。私は体が震えている彼の背中に手をまわした。
「悠真ぁ……」
泣きじゃくった。子供のように泣いた。お互いの名前を何度も呼んで、意味もなく謝った。
少しして落ち着いてきたころ、私は消え入るような声で呟いた。
「倉田は…………?」
その言葉に、悠真は私の体を離した。すごく言いにくそうにしているのがわかる。
それだけでわかった。
「――私……私が倉田を巻き込んじゃった」
「違う。倉田は自分から橙子たちを守ったんだ。あいつはそういうやつだから」
そういうやつ。うん、そうだよね。死んでも他人の心配して……あいつほんとにバカだよ。ほんとに……
ほんとに涙が止まらないよ……――
*****
その後、簡単な検査や警察の取調べを終えて、私はすぐに退院することができた。
その際に康樹君にも再会することができたけど、お互いに何も話さなかった。だって2人が関わることは本来なかったのだから。
悠真はずっと傍にいれくれた。悠真なら守ってくれると言った倉田の言葉を思い出す。
結局、これはただの事故として片付けられた。私達がなかなか目を覚まさなかったのも事件のショックということになっていた。
月日が流れると共に、このことは忘れ去られていった。
だけど、私だけはこのことを忘れないと誓った。今こうして自分が生きているのは他ならぬ倉田のおかげだ。彼の分も精一杯生きたい。
だから忘れない。絶対。
――2年後。私と悠真は結婚した。
その夜、2人は新しい家には戻らず、式場の近くのホテルに泊まった。
「悠真、今日から改めてよろしくお願いします」
「いえいえ。こちらこそよろしく願いします」
丁寧に頭を下げて笑い合った。
大勢の人に祝福された、人生で最も幸せな1日だった。だけど、ここに本来来るはずだった人物が来られなかったのは寂しい。
私の考えていることがわかったのだろう。悠真がレストランに行こうと言い出し、私は頷いた。
1階のレストランは混んでいて、30分並んでようやくテーブルに座ることができた。
ウェイトレスはまだ来ない。
「…………」
代わりに、隣に座る女の子と目が合った。彼女は交互に私と悠真を見る。
「結婚おめでとう。さっき見えた」
彼女は気さくに話しかけてきた。私と悠真は顔を見合わせてからありがとうと言った。
だけど、女の子の次の言葉は、
「ほんとだよ。世話がやけるよ……」
ん?耳を疑って再度女の子を見ると、彼女ははにかんだように笑って走り去ってしまった。
入れ違いにウェイトレスが来る。
「ご注文をお伺いいたします」
「まさか……」
「はい?」
「まさかねぇ…………」
END
結婚式前日、婚約者の自宅のキッチンで料理をしていたはずの吉井橙子は婚約者の友人・倉田に起こされ目を覚ます。目覚めた橙子は何故か中学生の男の子・湯澤康樹と体が入れ替わっていた。なぜ入れ替わってしまったのか、自分に何が起きたのか記憶にない橙子は康樹の自宅で中学生として生活を送ることに。
少しずつ思いだすあの日に起きた出来事。自分達は死んでしまっているのではと思い始めた橙子と康樹が探っていくうちに徐々に真実が明らかになっていく。
結婚式前日のあの日、事故で亡くなったのは倉田だった。その場所に居合わせた橙子と康樹は、倉田が亡くなったのは自分のせいだと思い込んでしまい、体が入れ替わってしまった今の世界は2人にとって自分を守るために作り上げた世界だった。現実世界で目を覚ました橙子は、婚約者から倉田が亡くなったことを聞かされた。